京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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現在、日本中に天満宮(天神社)は3953社あり、境内末社として祀る社を含めると全国で1万2千以上あるそうです。その天満宮・天神社の総祀である京都市上京区の北野天満宮は全国的に知られていますが、今回の文子天満宮(あやこてんまんぐう)は、その北野天満宮の前身ともいわれ、天神信仰の発祥の地と呼ばれています。
因みに、現在京都市内には、主祭神として菅原道真を祀る天満宮社は10数社あります・・・・北野天満宮、安楽寺天満宮、菅原院天満宮、霊光殿天満宮、水火天満宮、(全て上京区)、文子天満宮、綱敷行衛天満宮、火除天満宮、菅大臣天満宮、匂天神、(全て下京区)、吉祥院天満宮(南区)、錦天満宮(中京区)等。その他に神社内に末社として10数社祀られているようです。これら京都の代表的な天満宮社は、入れ替わりはありますが、近世(江戸時代)には「洛陽天満宮二十五社」と呼ばれていたようです。
今回の下京区間ノ町通花屋町下る天神町にある文子天満宮も、もちろん天神信仰の発祥の地として、古くから「洛陽天満宮二十五社」の一つに数えられています。





さて、菅原道真は延喜元年(901)一月、大宰府(福岡県)に左遷されますが、社伝によれば、道真は京を離れる前に乳母の多治比文子(たじひのあやこ)に神像を託しました。その後、文子は家に祠を建てて道真を崇め祀ったといわれ、これが文子天満宮の起こりとされます。(後に道真の神霊の託宣を受けて自邸の側に社を設けた時を創建とする説もあります。)
その後、菅原道真は、延喜三年(903)二月、五十九歳で死去しましたが、その後天候不順や政治家の死が続き、人々はそれらの災いを道真の怨霊のためと恐れました・・・
まず、延喜八年(908)夏、干害が起こり、十月には道真配流の首謀者のひとり参議藤原菅根(すがね)が疫病で死去。翌九年(909)四月には、道真配流の張本人と呼ばれる左大臣藤原時平が39歳で病死。また六月には洪水が発生。翌十年(910)七月には大風雨が発生。延長元年(923)三月、醍醐天皇の皇太子の保明親王が21歳で死去。延長八年(930)六月には清涼殿に落雷し、大納言藤原清貫は即死、右中弁平希世(まれよ)は顔を焼かれるなど被害者が出ます。またこの年、醍醐天皇も病死。 天慶元年(938)四月、大地震が起こり、この時も道真の怨霊の祟りと騒がれます。

そして、天慶五年(942)七月、多治比文子は、道真の託宣を受けました。道真は「天神の号を得たので鎮国の思いがある。世にある時、しばしば遊んだ右近の馬場(北野)に祠を造って我を祀ることを望む。」と語ったということです。しかし、多治比文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅の近くに小祠を建て道真を祀ったといわれています。(尚、多治比文子は道真の乳母の他に、少女だったという説もあります)
その5年後の天暦元年(947)六月に祠は北野の地に移されたとも伝わり、また同年(天暦元年)に、今度は近江の比良宮の神職・神良種(みわのよしたね)という人物の七歳の息子・太郎丸にも同様の託宣があり、また右近馬場に一夜にして松が数千本生えるという奇跡が起きた為、良種は文子とともに北野朝日寺の僧・最珍、法儀、鎮世等に協力を求め、北野の地に小さな社殿を建立しました。
このようにして、天暦元年(947)から天徳年間(957〜61)に至る14年間に社殿を5回にわたって改築し、天徳三年(959)には、右大臣藤原(九条)師輔が社殿を豪華なものに造替します。天徳四年(960)、多治比文子は「北野天満自在天神宮を山城国葛野の上林郷に創建する縁起(略称「創建縁起」)」を著しました。そして、永延元年(987)には初めて北野祭が行われ、正暦四年(993)五月に、正一位左大臣が、さらに同年十月には太政大臣位が贈られました。寛弘元年(1004)には一条天皇が初めて行幸し、以降王城鎮護の神社として崇敬を受け、全国に天神信仰が広がっていきます。
一方、文子天満宮の方も、その後天神信仰が盛んになるのに従って、天神信仰の発祥の地として信仰を集めたようです。以後、天明、安政、元治の大火で類焼しますが、その都度再建され、明治に至り、村社に列せられました。現在の社殿は、大正七年(1918)に造営されたものということです。





境内には、菅原道真が太宰府へ左遷される際に、この地に立ち寄って腰掛けたと伝わる「腰掛石」や、平成十四年(2002)菅原道真公御神忌千百年大萬燈祭の際に建立された「多治比の文子銅像」等があります(写真)。
また小さな末社があります・・白太夫社は、度会春彦(わたらいはるひこ)を祀っています。
菅原道真の父・是善は、世継ぎの誕生を伊勢神宮の神官・度会春彦に託し、豊受大神宮(外宮)に祈願しました。こうしてうまれたのが道真で、それ以来数十年にわたって、度会春彦は守役として道真に仕えました。度会春彦は若い頃から髪が白かったということで白太夫と呼ばれ、各地の天神宮には、必ず「子宝の神」として白太夫を祀っているそうです。
植林林業の神=老松社は、道真の家臣と伝えられる島田忠臣(しまだただおみ)を祀っています。島田忠臣は、道真の夫人の父ともいわれ、道真の配流先の大宰府で、道真が自身の無実を神に訴える為に天拝山に参った時に笏を預かって付き従った人物です。後に、道真は松の種を持たせて現在の北野の地に撒くように託したと伝えられます。道真の神霊が降臨した際には、多くの松が一夜にして生えたという伝説はこの話を元にしているようです。
福部社は、道真に仕えた舎人(牛車の世話役)の十川能福(そがわのうふく)を祀っています。後に、「能福」という名前から金運と開運をもたらす「開運招福」の神として崇敬されるようになったようです。また雷除けや五穀豊穣を招くという祭神の大雷神(いかづち)を祀る火之御子社(ひのみこしゃ)があります。
最後に、毎年四月十六日に近い第三日曜日に、例祭が行われ、また「文子」の名前にちなんで、全国の「ふみこ・あやこ」という同名の名前のつく方々を募集する「全国文子会」という活動をしているようです。



ついでですが、文子天満宮のすぐ東北、下京区六条通高倉上る升屋町にある高市稲荷神社の写真も掲載しておきます。

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