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南区吉祥院政所町にある吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)は「洛陽天満宮二十五社」の一つとして、また「京都十六社朱印めぐり」の神社としても知られます。
東寺の南西方面には他に観光地らしい寺社が少ないため、京都好きな方も足が遠のく地域かもしれませんが、この神社は地域を代表する平安時代以来の由緒有る神社で、菅原道真の他、祖父清公・父是善等を祀っています。
さて、現在の吉祥院一帯は、平安時代には白井の庄と呼ばれ、土師氏の出身で菅原氏と改姓した菅原古人(ふるひと 菅原氏の開祖で道真の曽祖父)が平安京遷都の時、桓武天皇より賜った地域でした。特に現在の吉祥院天満宮付近は、菅原氏領の中心部で、神社周辺には菅原氏ゆかりの史跡が残っています。
神社縁起によれば、その後、延暦二十三年(804)、菅原道真の祖父・清公(きよきみ)が遣唐使として唐へ向かう途中で嵐に遭い、船上に現れた吉祥天女の霊験を得て海難を逃れることが出来たため、帰国後に自邸内に一宇を建てて、自身で刻んだ吉祥天女像を祀り、吉祥院と名付けて氏寺としたということです・・これが吉祥院という地名の由来にもなっています。また、道真はこの地で誕生したとも伝えられます。(但し、ずっと前に少し採り上げました上京区にある菅原院天満宮(京都御所の西)も、道真誕生の地として知られ、下京区の菅大臣神社も誕生の地と称しています。)その後、道真の伝説を伝える天神縁起によれば、吉祥院では寛平六年(894)九月、菅家の門弟達が集まって五十歳になった道真を祝って会が催されたと伝わり、また道真はここで法華八講の法会を行ったとも伝わります。
神社の創建ですが、その後、延喜三年(903)に菅原道真が太宰府(福岡県)で亡くなってから31年目に当たる承平四年(934)、朱雀天皇の勅命によりこの地に日本最初の天満宮が創建されたと伝えられます。この時、朱雀天皇は自ら道真像を刻んで、菅原家ゆかりの地に奉納しました。以来、吉祥院天満宮と呼ばれるようになったということです。
このように吉祥院天満宮では日本最初の天満宮と称していますが、他に最初の天満宮としては、前に採り上げました天神信仰発祥の地・文子天満宮(下京区)が知られます。文子天満宮の創建は菅原道真が延喜元年(901)に大宰府に左遷された後に多治比文子が家に祠を建てて道真を祀った時とか、天慶五年(942)に道真の神霊の託宣を受けて文子が自邸に社を設けた時とかいわれるので、吉祥院天満宮の方は、創建縁起を信じれば天皇の勅命を受けて創建した本格的な天満宮としては、北野天満宮に先立つ最も早い時期のものだったことになります。その後中世には天神信仰の隆盛で神社は栄ましたが、近世以降は徐々に衰退して今日に至ります。
さて、吉祥院天満宮の境内は、本殿、拝殿、舞楽殿、吉祥天女堂、社務所等が立ち並んでいます。拝殿の右には菅原道真の祖父・清公ゆかりの吉祥天女社があります。(写真)また、境内には道真ゆかりの様々な史跡が残っています。参道付近には、道真が参朝の際に顔を写したといわれる「鑑(かがみ)の井」碑があります(写真)また、本殿横には道真が少年時代に習字に使ったとされる「硯(すずり)の水」があります。この水で硯を磨れば習字が上達すると伝わり、昔は書初めにはこの水を汲んで使ったということです。
さらに、境内中央には、道真のへその緒を埋めたと伝える「菅公胞衣塚(かんこうえなつか)」があります。(写真)、初宮詣りには、本殿に参拝後は、この「胞衣塚」の前で小児の鼻をつまみ元気声を上げさせて無事成長を祈る習わしがあるそうです。さらにこの塚の玉石を喰い初め石として、お宮参りで授与されたものを祝う喰い初めの儀の際、軽く小児の口に添えると丈夫な歯が生えるとされているということです。
また、この地では古くから六斎念仏が盛んに行われた所で、今も「吉祥院六斎念仏踊り」として継承されて、国の重要無形民俗文化財に指定されています。毎年4月25日の春祭と、8月25日の夏祭には境内の舞楽殿でこの六斎念仏が奉納されています。
訪問した六月末には(6月25〜30日の間、「茅の輪(ちのわ)くぐり」と「夏越しのお祓い」が行われました。)拝殿前に、丸い「茅の輪(ちのわ)」が設けられていました(写真)
「茅の輪(ちのわ)くぐり」は、葉の両側が鋭くなっている茅(ちがや)を束ねた「大ちのわ」をくぐって、(一回、2回と左右にくぐる作法です)無意識の内に罪を取り除いて心身を清浄に保ち、特に酷暑の夏をひかえて夏の疫病にかからないように祈る夏越しのお祓いです。また小さな「茅の輪(ちのわ)」を腰に付けたり、門口に掲げると、疫病災疫除けになるといわれているそうです。
今回は訪問できませんでしたが、天満宮の周辺を歩くと、道真の夫人だった「北政所(きたのまんどころ 菅公夫人)の墳墓」や、道真の祖父の「菅原清公卿の墳墓」。また道真が月夜に虫の音を聞いた森跡と伝わり、家臣の六田家がこの虫の飼育にあたっていたことに由来する「六田杜(むつだのもり)跡碑」。「硯(すずり)の水」と同様の史跡で、少年時代の道真が湧き出す水を硯に入れたところ、書が上達したと伝わる「菅丞相硯之水(かんじょうしょうすずりのみず)碑」などもあります。
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