|
伏見区墨染町にある墨染寺(ぼくせんじ)は、その名の通り「墨染桜(すみぞめざくら)」で知られるお寺で、地元伏見では「桜寺」と呼ばれて親しまれています。実はブログ用に今年の桜の季節に行こうと思ったのですが、他に幾つかの桜の名所に行っている内に時期を逸してしましました。桜の頃以外は見所のあるお寺ではありませんが、今回採り上げてみます。
京阪電車の墨染(すみぞめ)駅近くにある墨染寺は、山号を深草山という日蓮宗寺院で、元々は清和天皇の勅願寺だった貞観寺(ていかんじ)の旧跡になります。伏見周辺は、平安時代に皇室や藤原氏によって大寺院や山荘が建てられた場所でした。(藤原頼通の子・俊綱による伏見山荘、白河法皇の鳥羽離宮、醍醐寺や法界寺等が知られます。)
嘉祥三年(850)、仁明天皇が亡くなりこの地の深草陵に祀られると、その菩提寺として嘉祥寺が創建され、その後貞観四年(861)に、摂政・藤原良房が嘉祥寺に隣接して建てられた西院を孫の惟仁親王(後の清和天皇)の加護のために創建しました。
寛平三年(891)、良房の養子・関白藤原基経が死去してこの地に葬られたのを悼んで、当時の歌人の上野岑朝(かんつけのみねお)が、「深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染に咲け(この深草の桜の花にも心があるのなら、関白の死を悼んで今年ばかりは墨染色に咲いてほしい)」と詠んだ場所といわれ、その歌通りに薄墨色の花が咲くようになったと伝えられます。また、この地が「墨染」と呼ばれるようになったのはこの歌に由来するといわれます。
貞観寺はその後衰退しますが、豊臣秀吉が伏見に城下町を建設する際、墨染桜の逸話を知って、姉の瑞竜尼が帰依していた日秀(道誉)上人に、土地を寄進したことにより再興します・・この時日蓮宗に改宗して、寺名を「墨染桜寺(ぼくせんおうじ)」と改め、本堂に「桜寺」の額を掲げたと伝えられます。
当時は境内が八町(約870m)四方あり華麗な伽藍が建っていたということですが、江戸時代を通じて衰退して社域も縮小、現在のような小さなお寺になりました。近年、宇治の直行寺(じきぎょうじ)、梅津本額寺の住持だった学妙上人という人物が、墨染寺の荒廃を知って第三十七世と道誉して寺に入って復興に努めたということで、境内には上人の顕彰碑が立っています。
また寺宝として、長谷川等伯筆といわれる秀吉像等や、上野岑朝が詠んだ当時の墨染桜とされる古木の根元部分等を所蔵しています。狭い境内には10本程の桜の木がありますが、ソメイヨシノや御衣黄に混じって本堂前にある墨染桜は、三代目で樹齢二十数年ということです。また本堂前の御手洗鉢は、「墨染井」と呼ばれ、明和五年(1768)に歌舞伎役者の二代目中村歌右衛門が寄進したものと伝わります。
|