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京都では祇園祭がいよいよクライマックスの山鉾巡行を迎えます。
祇園祭では山鉾巡行の前日の宵山までの数日(13・14日頃〜16日)「屏風祭」が行われました・・これは山鉾町の旧家に(今は山鉾町にある企業なども参加しています。)代々伝わる屏風や書画、着物や骨董品等を一般に公開する行事です。
「屏風祭」は江戸時代の中頃から盛んになったようで、明治時代には「屏風番付け」まで出される程だったそうです。通りに面した格子を外し、道行く人に家宝等を見せるというのは、昔から京都人の普段の閉鎖的な暮らしでは極めて珍しいことだったようです・・格子を外せば、奥座敷までまったく筒抜けになる京都の町家の構造では尚更でした。日常(ケ)から祭(ハレ)の場へと、一年に一度の特別な日にするために、この日ばかりは閉鎖的な暮らしをしていた京都の人も、屏風を見たい人たちを中へ気安く通す家も多かったそうです。
さて、「屏風祭」で有名なのは杉本家(下京区綾小路通新町西入る矢田町)です。杉本家住宅(主家、大蔵、隅蔵、中蔵)は、江戸時代の京都の伝統的な町家の形式を今に伝える旧家として平成二年(1990)に京都市の有形文化財に指定されました。京都を代表する町家として見学したい方も多いのですが、春秋等の特別な期間のみ一般公開されます。「屏風祭」の機会に見学するのも良いかと思います。(一般公開期間1,500円 屏風等の撮影は禁止のようです。)
杉本家の初代・新右衛門新八(三代目より新左衛門と改めます)は、江戸中期の宝永元年(1704)伊勢国飯南郡(松坂)の農民杉本八郎兵衛の六男に生まれ、14歳で上洛し京都四条の呉服商・奈良屋勘兵衛に雇われます。21歳で仕入れ方を担当、埼玉県騎西の出店に赴いて商売に精進して40歳で独立し、寛保三年(1743)京都烏丸四条下るに借家を設け「奈良屋」の屋号で呉服店を営みます。その後、明和四年(1767)綾小路新町西入る矢田町(現在地)に移転し、以来祇園祭の「伯牙山」のお飾り場(会所)として使われるようになったということです。またかつては西本願寺の勘定方を勤めていたとも伝わります。
現在の家屋は幕末の元治の大火後の明治三年(1870)に再建されたものです。主家の北寄りの、鍵型に並ぶ大蔵、隅蔵、中蔵は建築年代が不明ですが、元治の大火には焼け残ったと伝わります。主屋は、表通りに面する店舗部と裏の居住部を取合部でつなぐ表屋造りの形式となっています。町屋としては市内最大規模で、内部は一部改造されていますが、全体としては保存状態は良好各一間半の床と棚を持つ座敷や独立した仏間、広い台所等に特色があるということです。
「屏風祭」では、俵屋宗達かその一門の筆という「秋草屏風」等の杉本家に代々伝わる屏風や掛け軸が展示されていました。
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