京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

大原・八瀬・岩倉他

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大原の三千院から西に向かって徒歩約30分、翠黛山の麓、大原草生町にあるのが寂光院です。「平家物語」に登場する建礼門院徳子の隠棲地として知られる観光名所ですが、京都の「平家物語」ゆかりの史跡の中でも特に有名な場所かもしれません。
ドラマチックな数々の事件で彩られる「平家物語」ですが、ラストは建礼門院の晩年を描く「灌頂巻」の「大原御幸」で締めくくられます・・・後白河法皇が大原へ御幸して、静かに余生を送っている建礼門院と再会する名シーンです。今でも大原の里は自然が残っていて、晩年の女院が隠棲するのに相応しい舞台のように感じられるからでしょうか、女性を中心に人気があり、門跡寺院らしい堂々とした三千院よりもこちらの方が好きという方もおられるようです。

寂光院といえば、あの悲劇が思い浮かびます。平成十二年(2000)五月九日未明、未だに犯人不明の放火により本堂が全焼し本尊も大きな損傷を受けました。そして五年間の修復再建の後、平成十七(2005)六月からようやく再公開されました。個人的な感想としては、再建後の寂光院はかなり明るくなったという印象で、「平家物語」ゆかりのお寺らしいどこか寂しげな雰囲気は失われてしまったようにも思います。焼失前にもっとじっくりと見ておけばよかったと残念な気もします。



さて、寂光院は、山号を清香山、寺号を玉泉寺という天台宗の尼寺です。
京都市の観光情報によれば、創建当時はただ仏教とだけで宗派等は不明、その後明治初年までは末寺を一ヶ寺持った天台浄土兼学寺だったということです。寺伝によれば、推古天皇二年(594)聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立し、初代住持は聖徳太子の乳人・玉照姫だったと伝えられ、その後は代々高貴な家門の姫が法燈を守り続けたということです。この聖徳太子による創建という話については、史実というより、他の太子が創建したと伝えられる寺院と同様に後世の太子信仰の高まりにより伝説化していったものと思われます。(また、聖応大師良忍による創建説等もあるところから、平安末期頃に比叡山延暦寺の影響下に、当時衰退していたこの地の古寺を再建したということも考えられます。)そして、建礼門院が移り住んでからは、御閑居御所、高倉后大原宮と称して、代々の高貴な貴族の姫等が法燈を守り続けてきたということです。


寂光院といえば、誰でもまず建礼門院を連想します。
建礼門院徳子(平清盛の二女として生まれ、高倉天皇の中宮として安徳天皇の母となります)は、寿永四年(1185)の壇の浦の戦いで、幼い安徳天皇を抱いて平家一門と共に入水しましたが、源氏方によって熊手で髪の毛を絡み寄せられ捕らえられました。都に護送された建礼門院は、東山の麓・吉田にあった奈良法師の坊に身を寄せた後、東山の長楽寺の印誓上人を戒師として落飾して尼となり、真如覚比丘尼と称しました・・時に建礼門院29歳と伝えられます。そして、間もなく大原に移り、寂光院の側に草庵をむすび、平家一門と安徳天皇の菩提を弔う生活を送りました。

「平家物語」によれば、翌文治二年(1186)年の春、後白河法皇が共のものを連れて、夏草を踏み分けて人里離れた大原の寂光院に御幸します。法皇一行は、粗末で荒れた建礼門院の庵に驚き、また建礼門院が詠んだ「思ひきや深山の奥にすまひして雲井の月をよそに見んとは(このような深山の奥に住んで月を眺めることになろうとは、思いもしなかったことです)」という歌を知って、かつての女院の華やかな暮らしを思い出して哀れに感じ涙を流します。そこに、翠黛山に花を摘みに行っていた法衣姿の女院が戻ってきます。

突然の法皇の御幸に驚き、粗末な自身の暮らしを恥じながらも建礼門院は法皇と対面し、自身の体験した人生の変転を物語ります。一同、今さらながら運命に翻弄された女院の生涯を思って涙を流すのでした。やがて夕暮れとなり、法皇一行は名残惜しくも都へ帰っていきます。
その後の建礼門院は、平家一門や安徳天皇の菩提を弔いながら歳月を重ねますが、最後は病気になって阿波内侍阿波内侍(あわのないじ)達に看取られながら、極楽浄土を願って念仏を唱えて静かに息を引きとったと「平家物語」は記しています。
史実としては、建礼門院の最後の地は、寂光院では無く東山の鷲尾山(長楽寺のある山)等諸説があるようですが、平家物語や謡曲により広く流布した大原御幸当時のイメージが再現されている寂光院の境内こそ、最後の地に相応しいといったところでしょうか。

また、建礼門院の最後を看取った阿波内侍(あわのないじ)も寂光院ゆかりの人物として知られます。
阿波内侍は、「平家物語」に登場する多くの人物と同様に実在したのか不明な人物ですが、保元・平治の乱で知られる藤原信西の娘ともいわれ、崇徳天皇の寵愛を受けたという話が残っています。(前に採り上げた安井金比羅宮でも登場しました)その後、内侍は宮中で建礼門院に仕えていましたが、女院に従って出家し大原に移り住みました。大原では建礼門院の生活を支えるために、お付の女官らと共に柴の束を頭上に載せて京の町へ売り歩いたとも伝えられ、その時の装束が「大原女(おはらめ)」のモデルとなったともいわれています。




さて、寂光院は石段を登っていくアプローチが有名です。
石段の途中右手に、非公開ですが「狐雲」と名付けられた茶室があり、左には「鳳智松殿」という名の宝物館&売店があります。石段の上には本堂を中心に右手に庫裏と書院、左に鐘楼が建ち、池庭のある落ち着いた空間が広がります。
現在の新本堂は、焼失した入母屋造・柿葺の旧本堂を忠実に復原したものです。旧本堂は内陣と柱が飛鳥・藤原及び平家物語の時代の様式、外陣は慶長八年(1603)に豊臣秀頼と淀君が片桐且元を工事奉行として修理させたもので、他に徳川家康らも再興を援助したと伝えられます。尚、内陣の床は、秀頼の再建前は、中国式の土間だったということです。

本堂には聖徳太子が用明天皇の菩提を弔うために作ったという伝説のある高さ約2.5mの本尊・六万躰地蔵菩薩立像(室町時代 国の重要文化財)が安置されていましたが火災により黒焦げとなりました。この焼け残った本像は、約3年間に渡る美術院国宝修理所での修復処理(表面を透明樹脂で固める)を経て現在収蔵庫に安置され、新本堂には彩色鮮やかな新しい本尊が祀られています・・以前の古風な本尊とはかなり違った雰囲気ではありますが、とにかく再興されて良かったという気持ちになります。
また、焼け残った元の本尊の胎内には、小さな地蔵菩薩の像3417体が納められていましたが奇跡的に救出され(尚、内陣壁面にも多数の小仏が並んでいましたが焼失)、その他の災いを逃れた教典等貴重な品々と共に宝物館に展示されています。尚、旧本堂に祀られていた建礼門院座像、阿波内侍の張り子座像も焼失しましたが、復原された像が新本堂に祀られています。



本堂前の西側の庭園は、平家物語の当時のままに古い心字池、千年の姫小松、苔むした石組、汀の桜等で構成されています。この池は、後白河法皇が「池水に 汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ」と詠んだ池で、「池のうきくさ 浪にただよい錦をさらすかとあやまたる 中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色」という歌に登場するのがこの姫小松ということです。(写真)しかし、この樹齢千年という名木も本堂の火災の際に損傷し、痛みが激しくなりついに平成十六年夏に、枯死(こし)してしまいました。高さ15mの大木だったので倒木防止のために上部を伐採し、平成十七年より御神木として祀られています。

また本堂の北側の庭園は回遊式の四方正面の庭で、林泉・木立・清浄の池として表現され、特に石清水を引いた三段の滝を玉だれの泉と言って、一段一段高さと角度が異なり、三つの滝の夫々に異なる音色が一つに合奏するかのように作庭されているということです。
また書院前方の山が女院が仏に供える花を摘んだという翠黛山で、山中には建礼門院に仕えた阿波内侍、大納言佐局、治部卿局、右京太夫局の墓と伝えられる五輪塔三基と宝筐印塔一基があります。(今回は寄れませんでした。またの機会に写真を掲載します。)その他本堂手前右側には、大きな南蛮鉄の雪見燈篭があり、豊臣秀吉の寄進で桃山城から移されたものということです。(写真)また裏門の北側の森には建礼門院の御庵室遺跡には大正十五年(1926)に建てられた石標が立てられています。
最後になりますが、本堂の右手裏山には、建礼門院を埋葬したと伝えられる建礼門院大原西陵があり、五輪塔の仏教式の御陵として珍しいということです。(写真)



寂光院は、京都の門跡尼寺や嵯峨野の幾つかの寺院にも共通することですが、女性らしい優しさに惹かれて、違う季節に訪ねてみたくなるようなお寺ですね。

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こんにちわ 南蛮鉄灯籠で、訪問しました。
ブログ歴史小説を、載せています。

2009/2/21(土) 午後 7:45 タロ子別荘

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何年も前に三千院と寂光院を訪ねてバス旅行をしたのですが、あいにく消失直後のことで寂光院を訪ねることはできませんでした。こちらの写真と記事が大変ありがたかったです。平家物語にゆかりの場所は下関の赤間神宮の墓所までかなりの場所を訪ね歩き、寂光院に行けなかったのがとても残念に思っております。

2015/7/20(月) 午後 4:42 [ kur**hiki_*eik* ]


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