京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

山科・醍醐・小野周辺

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京都市伏見区に日野(ひの)という場所があります。北を伏見区の醍醐、南を宇治市に面した比較的小さな区域で、西方面は新興住宅地化していますが、東は山に囲まれて山里の風情が残っています。

日野は古くは山城国宇治郡に属し、奈良時代以降は藤原北家の領地でした。
弘仁十三年(822)に一族の藤原家宗がこの地に薬師如来像を祀り、その後永承六年(1051)、子孫の日野資業が法界寺を建立して氏寺としたことにより、やがて地域名の日野を家名とするようになったと伝えられます。日野氏として思い浮かぶのは、まず足利義政の正室・日野富子でしょう。また後醍醐天皇の側近で、正中・元弘の変に関係し処刑された日野資朝や日野俊基も有名です。そして浄土真宗の開祖・親鸞上人も日野氏の出身でした。
日野には法界寺や日野誕生院など親鸞や日野氏にまつわる幾つかの史跡がありますが、まずは観光的にあまり知られていない史跡を採り上げてみます。



今回は伏見区日野船尾にある鴨長明ゆかりの史跡「長明方丈石(ちょうめいほうじょうせき)」です。
鴨長明については、前に下鴨神社の境内社・河合神社を採り上げた時に少し書きました。繰り返しになりますが書いてみます。

「方丈記」の著者として知られる鴨長明は、久寿二年(1155 一説には仁平三年(1153)とも)下鴨神社(賀茂御祖神社)禰宜・鴨長継の次男として泉の館(現在の京都大学北方一帯)に生まれました。鴨氏は代々下鴨神社の社家で、長明も七歳の時から神職を志しました。また幼少より学問や歌道に秀でていたようで、琵琶を中原有安に、和歌を俊恵法師に学んでいます。
その後、平家の福原遷都にも随行し、平家の滅亡により京都へと戻っています。文治三年(1187)、33才で藤原俊成が編纂した「千載和歌集」に一首が入選し、歌壇に認められます。その後、後鳥羽上皇に召されて院の歌会に参加し、建仁元年(1201)47才で、和歌所寄人に任ぜられる程宮廷歌人としての才能を発揮し、元久二年(1205)の「新古今和歌集」には和歌等十首が採録されています。

しかし、元久元年(1204)頃、50歳で宮中の職を辞して出家し、洛北大原の里に隠遁してしまいました。鴨長明の突然の出家に関しては、歌人としての名声は得たものの、亡き父の跡を継いで河合神社の禰宜となるという本来の志が周囲の反対により挫折したためという説が有力ですが、平安時代末から京都を襲った火災や地震、飢饉による地獄図を目撃したこと等様々なことがあったのかもしれません。
大原で4年を過ごした後、建暦元年(1211年)、54歳で日野外山に移って草庵を結び、翌建暦二年(1212)から、世の無常と人生のはかなさを随筆「方丈記」や「無名抄」に著し、建保四年(1216)閏6月8日、62歳で死去しました。




さて、日野の法界寺付近を歩いていると、鴨長明の方丈石への案内表示が所々にあることに気付きました。私にとっても未知の史跡で、事前に調べてみたところ山の中腹にあるようです。この暑い季節に山登りなどする気も無かったのですが、日野周辺の史跡めぐりが以外と早く片付いたので、この際、行ってみることにしました。

案内板の指示通りに、東に向かって長閑な山間の舗装道路を登っていくと、スポーツや野外活動をサポートする「日野野外活動施設」という施設があり、そこから山に入ります。
これまでこのブログに登場した史跡では、一乗寺にある石川丈山の墓、上高野にある小野毛人の墓なども、急斜面の心細くなるような山道を登らなければなりませんでしたが、今回の方丈石もかなり深い山にあるようです。丈山や毛人の墓を目指した時よりは楽な道ですが、日差しの強い日だったにもかかわらず、深い森によって光が遮られ少し不気味な雰囲気が漂っています。丈山や毛人の墓の時もそうでしたが、戻りたくなる気持ちを押さえて歩きました。



時間は10分程度で、巨大な岩が見えてきました。この高さ3〜5mはありそうな巨石が方丈石のようです。
苔むして緑色になった岩の上には明和九年(1772)に刻まれた「長明方丈石」の石標と、ライオンズクラブによる「方丈の庵跡」という解説碑がありました。(写真)鴨長明は、この巨石の上に方一丈(3メートル強)の草庵を設けて「方丈記」を著したと伝えられ、またこの場所で死去したともいわれます。

長明は大原に隠棲した後も各地を転々として、承元二年(1208)に日野の地に落ち着きますが、各地を移動している間、棲家としていたのが、組み立て式の「方丈」でした。
移動に便利な一種のプレハブ住宅のようなものですが、大きさは一丈四方(約3メートル四方)、面積は約2.73坪、畳約五畳半程度です。間口、奥行きともに一丈四方(約3メートル四方)であるところから「方丈」と言われています。(下鴨神社の境内社・河合神社の境内に復原されていた長明の「方丈」の実物大の模型の写真を掲載しておきます。)

方丈石の上は平坦になっていて、3メートル四方の方丈が何とか乗りそうなスペースはあります。しかし、どうして態々このような場所を選んだのでしょうか?また、それ以上に私が驚いたのは、このような深い森の中で生活するという点です。私の周りを蚊や蜂が飛び回っていて、多分蛇もいるでしょう。まして、長明の時代(鎌倉時代)はそれこそ虫や動物に囲まれ、夜は灯り一つ無い闇の世界だったでしょう。長明は勇気があるなあ・・そんなことを考えていると、手足の長いユウレイグモが方丈石の上をゆっくり歩いていきます。私は急いでこの場から撤退することにしました。


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