京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

伏見稲荷・深草・伏見桃山・鳥羽他

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前回の仏国寺のすぐ近くの寺院と神社です。

深草大亀谷敦賀町にある等泉寺(とうせんじ)という地味なお寺については、ほとんど情報がありません。
等泉寺は、元々、宇治川の南にある向島東泉寺町に建てられていたそうですが、度重なる水害のために現在の地に移転されました。江戸時代の延宝四年(1676)に頓誉円西上人によって中興されました。寺伝では天明年間(1681〜88)に浅井長政の子孫と伝えられる薫誉智香尼が再中興して尼寺となり、後に男僧寺院となりました。本堂には恵心僧都(えしんそうず)の作と伝わる本尊・阿弥陀如来像を安置しています。また、門前には、なまぐさものと酒を禁ずるという意味の「禁葷酒(きんくんしゅ)」と刻まれた石標があります。



等泉寺のすぐ側、伏見区深草大亀谷古御香町にある神社が御香宮社です。
現在、伏見区を代表する大社・御香宮(伏見区御香宮門前町)の御旅所になっていますが、一時はこの場所に御香宮が遷座していたために、通称「古御香宮(ふるごこう)」と呼ばれています。祭神は、安産の守護大神として知られる神功皇后他九柱神で、この深草大亀谷敦賀町を中心とする「峠」一帯の氏神として深く信仰されているということです。

さて、文禄三年(1594)、豊臣秀吉は伏見築城にあたって、城内鬼門除けの神として、当時伏見九郷の石井村にあった御香宮をこの大亀谷に移設勧請し、本殿等を造営して社領三百石を寄進しました。秀吉の没後、天下人になった徳川家康は、古くから伏見九郷の鎮守社として祀られてきた神社を元の伏見に戻すことによって伏見城下町の人心の安定を企ろうと、慶長十年(1605)に元の地に戻しました。

尚、秀吉がこの地に神社を祀ったのは、隣接する「桓武天皇陵墓参考地」を保護する必要上とも伝えられているということです。「陵墓参考地」とは、明治時代に現在の各天皇陵が公的に定められる以前に、古くから天皇陵と言い伝えられてきたり古資料に天皇陵と記されてきた古墳や埋葬地などを指します。天皇陵候補地として検討された経過があり今でも宮内省の管理下にあります。(中には本物の天皇陵である可能性のあるものも含まれているようです。尚、桓武天皇陵に関しては、別にブログに採り上げる予定です)
現在のこの古御香宮社を囲む山森地は、桓武天皇陵の候補地だった場所でした。室町時代の文安二年(1445)に作成されたという古記録「旧光厳院古図(伏見山図)」には桓武天皇柏原陵が記載されていて、この大亀谷陵墓参考地の地を指していると考えられたからです。さらに大正時代には前回に採り上げた仏国寺境内から花崗岩の板材を組み合わせた「石棺」が出土していて、現在仏国寺境内に置かれ、その台石は古御香宮社の社殿前に残っています(社殿前の台石の写真を参照)このように、陵墓地が桓武天皇のものかどうかはともかく、何らかの大規模墳墓だった可能性は残り謎の多い場所としても注目されます。

尚、秀吉の造営した本殿は江戸時代末期に大破し、その後建てられたのが現在の本殿で、平成十年(2003)五月に解体修理されています。また、幕末の慶応四年(1868)の鳥羽伏見の戦いの際には、御香宮の御神霊が一時避難の為にこの地に遷座されています。こうした経緯から地元の人々より「古御香宮」と呼ばれて、十月の御香宮神幸祭には神輿の御旅所として神輿渡御が行われています。

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