京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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欣浄寺

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伏見区西桝屋町にある欣浄寺(ごんじょうじ)は、前に採り上げた桜の隠れた名所・墨染寺のすぐ近くにある小さなお寺です。一見、見所のあるようなお寺に感じられませんが、本堂に「伏見の大仏」と呼ばれる丈六(高さ約5.3m)の木造毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)を祀り、道元禅師や小野小町ゆかりの史跡でもあります。(堂内拝観は要予約になります。)


欣浄寺は山号を清涼山という曹洞宗の寺院です。
寺伝に寄れば、元々は深草にあった極楽寺(現在の宝塔寺の前身で、藤原基経が創建した真言宗寺院。伏見区深草宝塔山町 宝塔寺はブログに採り上げる予定にしています。)旧跡の塔頭・安養院(あんよういん)という寺院だったということですが、天正年間(1573〜92)に欣浄寺として現在の地に移ったということです。

欣浄寺は、曹洞宗では開祖・道元禅師ゆかりの地として「深草閑居の史跡」と呼ばれています。道元禅師は比叡山で天台宗を学んだ後、臨済宗開祖の栄西禅師の孫弟子となって禅を学びさらに宋へ渡って曹洞禅を修めました。帰朝後に建仁寺に入った後、寛喜二年(1230)から天福元年(1232)に深草にあった極楽寺旧蹟の塔頭・安養院(欣浄寺の前身)に閑居して布教に努め、当寺を創建したといわれています。また「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」第一巻を記し、天福元年(1233)には同じ極楽寺旧蹟に最初の曹洞宗寺院の観音導利興聖宝林寺(現在の宇治寺にある興聖寺の前身)を創建しています。
寺伝によれば、当初は真言宗だったそうですが、応仁の乱(1467)後に曹洞宗に改めます。戦乱で衰退した後に天正・文禄(1573〜92)頃に告厭(こくえん)上人が中興し、欣浄寺として現在の地に移ったということです。またこの際に浄土宗に改められました。その後、に文化八年(1811)、擔宗(たんしゅう、天照卍瑞=てんしょうまんたん)和尚によって元の曹洞宗に改宗しています。

さて、欣浄寺の地は小野小町の伝説として有名な「百夜通(ももよがよい)」で知られる深草少将義宣の邸宅跡とも伝えられています。
「百夜通(ももよがよい)」の物語は、前に小野の随心院を採り上げた時にも書きましたが、深草少将から求愛を受けた小町が、彼を諦めさせようと自身の元へ百日間通うことを求めるというストーリーです。小町を慕う深草少将は、伏見のこの地から小野の里に雨の夜も雪の夜も通い続けますが、ついに最後の一夜を残して九十九日目に倒れ死んでしまったと伝えられます。小野小町の生涯が伝説以外にまったく不明なように、深草少将も実在の人物ではなく僧正遍照(良峰宗貞)等をモデルにして創作されたと考えられています。そういう訳で、あくまで伝説でしょうが、寺伝によるとこの欣浄寺の境内地は、桓武天皇が深草少将に与えた広大な領地の一部で、少将は死後この地へ葬られたと伝わります。その後、僧正遍照(良峰宗貞)が仁明天皇の菩提を弔うためにこの地に念仏堂を建てたのが、当寺の起こりということです。

欣浄寺境内にある池は、小野小町が美しい姿を映した「姿見の池」と言われ、池の周辺には深草少将と小野小町の供養塚、深草少将遺愛の「墨染井(すみぞめい)」と呼ばれる井戸等があります。池の東の小道は「少将の通い道」と呼ばれ、願いある者がこの道を通ると願いがかなわない等様々な言い伝えがあるようです。この道は豊臣秀吉は伏見城を築いてた頃には、竹薮を抜ける長い道が続いていたそうですが、現在は住宅街になっています。境内には他に「昭宣公塔」と呼ばれる五輪塔や、道元禅師が閑居したゆかりを顕彰する石碑「深草閑居の碑」があります。

旧本堂の老朽化によって昭和四十九年(1974)に改築された鉄筋コンクリート造の本堂には、丈六の毘廬遮那仏「伏見大仏」が安置されています。この大仏は、二代の住職によって安永三〜五年(1774〜76)に頭部が、寛政三〜五年(1791〜93)に胴体が造立された記録があり、高さ約5.3mの大きさは、木造仏としては日本一の大きさといわれています。本堂には他に涼寺式釈迦如来像や道元禅師石像等を安置しています。



ついですが、最期の写真は、欣浄寺のすぐ近く撞木町にある「撞木町遊郭跡(しゅもくちょうくるわあと)」の入口を示す石碑です。
撞木町遊廓は、豊臣秀吉の伏見築城にはじまり、一帯は京都と大津を結ぶ街道の分岐点に近く、古くから芝居小屋や土産物屋が軒を連ねたということです。遊廓街、は慶長九年(1604)に渡辺掃部・前原八右衛門の両名により開設され、その後の伏見の発展と共に元禄時代に全盛を迎えました。赤穂浪士を率いる大石良雄(内蔵助)が敵の目を欺くため、この地で遊興したことは有名です。

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