京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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京都市伏見区深草本寺山町・・・東福寺の東、泉涌寺の南にある山沿い付近(東山三十六峰の恵日山や光明峰という山になります)は、東山区と伏見区が入り組んでいてどちらに属するのかわかり難い地域です。今回は「仲恭天皇九条陵(ちゅうきょうてんのうくじょうのみささぎ)」とその周辺史跡を採り上げます。

第85代仲恭天皇は、在位約2ヶ月余りという歴代天皇中で最も影が薄い天皇ですが、御陵は東福寺の東の見晴らしの良い小山にあって、(意外なことに?)歴代の天皇陵中でも訪れる価値のある天皇陵のように感じます。
また、参道には崇徳天皇の中宮・皇嘉門院の「月輪南陵(つきのわのみなみのみささぎ)」、御陵のすぐ下の広場には「鳥羽伏見戦防長殉難者之墓」があり、平安から幕末までの京都の歴史を感じさせてくれる場所になっています。



「仲恭天皇九条陵」は、東福寺の南の勅使門を左手にして坂道を少し登ったところにあります。天皇陵の入口から少し登ると参道の途中にあるのが「崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵(すとくてんのうちゅうぐうこうかもんいんつきのわみなみりょう)」で、崇徳天皇の中宮だった皇嘉門院(こうかもんいん)の陵墓になります。(写真)

皇嘉門院は平安時代末期からこの地を領地としていた九条家ゆかりの人物として知られます。皇嘉門院・藤原聖子(ふじわらのきよこ)は、平安時代末期の摂政・藤原忠通の娘で、後に崇徳天皇の中宮となりました。崇徳上皇が保元の乱で敗れて讃岐に配流された後も、京都に留まって出家しています。皇嘉門院は後に、異母弟の九条兼実に皇嘉門院領を相続させ、これが五摂家として知られる九条家の豊かな領地の基礎となったのでした。

さて、今度はほとんど知られざる天皇、仲恭天皇です。
仲恭天皇は、第84代順徳天皇の第一皇子で名を懐成(かねなり)といい、祖父は「承久の乱」で有名な第82代後鳥羽天皇になります。承久三年(1221)、後鳥羽上皇は鎌倉幕府打倒を企て、子の順徳天皇も倒幕画の準備に専念するために、僅か4歳の懐成親王に譲位しました。しかし、2ヵ月後には、上皇軍は幕府軍に敗北し、後鳥羽上皇、順徳上皇は各々隠岐、佐渡に配流されました。(また反乱に関与していなかった第83代土御門上皇も自ら望んで土佐に流されました。)幼少の天皇も廃立されることとなり、その後は母・九条立子(藤原立子・東一条院)の兄・摂政九条道家の邸(九条殿)に母と共に暮らし、天福二年(1234)に17歳で崩御しました。結局、仲恭天皇の在位期間は、2ヶ月余りと現在までの歴代天皇中で最短ということになりました。このように、あまりにも在位期間が短く、即位式も大嘗祭も行った記録がないことから、明治時代まで公式の天皇とは認められず、ただ「九条廃帝」、「半帝」等と呼ばれていました。

さて、明治に入ると、幕末以来の尊王思想を受けて、歴代天皇の系統整理が行われました。
明治三年(1870)に、これまで在位期間が短く、また即位の記録が無いとして天皇とされていなかった3人の「廃帝」が公式に歴代天皇に加えられました。
天武天皇との「壬申の乱」で敗死し「淡海廃帝」とも呼ばれていた大友皇子は、第39代弘文天皇と追号されました。また、奈良時代末期に弓削道鏡の処遇をめぐって孝謙上皇(称徳と重祚)と対立、廃位され淡路に流された「淡路廃帝 名は大炊王(おおいおう)」は第47代淳仁天皇と追号されます。そして今回の「九条廃帝」は、第85代仲恭天皇と追号されたのでした。
尚、その後、明治四十四年(1911)に明治天皇の裁可により、それまで正式の天皇とされていた南北朝時代の北朝の歴代天皇に代わって、南朝が正当とされたため、南朝の第2代・後村上天皇は第97代、南朝第4代・後亀山天皇は第99代の正式な天皇に認定されました。最後に残っていたのが即位の記録が不明だった南朝の第3代だった後村上天皇の皇子・寛成親王でしたが、大正時代になって、それまでの研究成果により親王が即位していたとして、大正十年(1926)に、正式に第98代長慶天皇と認められました。

現在の「仲恭天皇九条陵」は、明治二十二年(1889)に九条家ゆかりのこの地に円丘墳として整備されたものです。鎌倉時代初期、この付近一帯には仲恭天皇の叔父で、東福寺を創建した九条道家の九条殿があり、道家は東福寺以外にも、その東に光明峯寺という大きな寺院を創建しています(残念ながらこの大持院の詳細は現在では不明です。)仲恭天皇は死後火葬され、東福寺周辺の九条家の領地内の寺院等に埋葬されたと考えられますが、在位2ヶ月余りで「九条廃帝」としか呼ばれてこなかった天皇の記録が多いはずも無く、正確な位置は不明です。1キロ程西北の京阪電車の線路近くの本町通に面する「東山本町陵墓参考地(東山区本町十六丁目)」はその候補地となった場所で、今でも本当の陵墓の可能性も残されているようです。


次回は、「仲恭天皇九条陵」のすぐ下に並ぶ「鳥羽伏見戦防長殉難者之墓」です。

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