京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

伏見稲荷・深草・伏見桃山・鳥羽他

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再び、深草周辺から小さな史跡を採り上げます。

まずは「ぬりこべ地蔵」です。
伏見区深草大門町、伏見稲荷大社から石峰寺へと続く長閑な散策路の途中に小さなお堂があり、高さ1m程の石仏が祀られています。これが「ぬりこべ地蔵」で、歯痛にご利益がある石仏として知られます。
全国からも歯痛平癒を祈ってはがきが寄せられていて、これらのはがきは堂内に山積みにされていいます。また、治癒のお礼には塗り箸を奉納するという習慣があるということです。
「ぬりこべ地蔵」という名は、歯の痛みを封じ込めるという意味、または土壁で塗り込まれたお堂に祀られていたので、そのように呼ばれるようになったともいわれています。少なくとも江戸時代から、現在地の西の警察学校敷地(深草塚本町・龍谷大学の北)に祀られていたようですが、明治末から大正にかけて旧地が軍用地になったため現在地へ移設されたということです。



続いて、東福寺の塔頭・南明院の南側(東山区と伏見区の境付近)にある墓地を採り上げます・・伏見区深草願成町にある「俊成、明兆墓地(五条三位俊成卿・兆殿司墓)」です。
平安時代の歌人として知られる藤原俊成(ふじわらのとしなり、 しゅんぜい)と、室町時代の画僧として知られる明兆(みんちょう 通称は兆殿司=ちょうでんす)の墓と伝えられています。

さて、東福寺の南の山裾、知らないと気付かないような民家に囲まれた墓地の一画に、土塀に囲まれて幾つかのお墓が祀られています。
中央が南明院の開山となった室町時代初期の僧・業仲明紹(東福寺第百十一世)上人の墓、右側の自然石は、南明院の二世であり画僧として知られる吉山明兆(1352〜1431)の墓と伝えられています。
明兆は室町時代初期に活躍した絵師で、東福寺に入って同寺の画僧となりました。東福寺では殿司の役にあったので兆殿司(ちょうでんす)とも呼ばれています。東福寺やその末寺の公用絵画を力強い筆致で描き、現在も東福寺に伝わる大涅槃図をはじめ多くの仏画が残っています。

墓地の左側には、大小二個の五輪石塔があり、大きいものが平安末期から鎌倉初期の代表的歌人・藤原俊成(1114〜1204)の墓と伝えられています。
俊成は藤原定家の父でもり、「千載和歌集」の撰者として知られます。俊成は90歳でこの地にあった法性寺内で死去したと伝えられます。墓は元々は現在地の西にありましたが、室町時代の応安三年(1370)頃、冷泉家ゆかりの浄如尼という尼僧が、冷泉家の先祖でもある俊成の菩提の為に、より山裾の現在地の丘を寄進して改葬したといわれ、小さい方の五輪塔は浄如尼の墓と伝えられているそうです。

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