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10月7日、京都市伏見区の三栖神社の祭礼行事「炬火祭(きょかさい)」が行われました。この日は桃山町の御香宮では「神幸祭」の最終日にあたり、こちらも神輿や武者行列が行われ、伏見桃山・中書島周辺が大いに盛り上がった一日だったようです。
(尚、三栖神社と御旅所の金井戸神社については、前回の金井戸神社の記事をご覧ください。)
三栖神社は天武天皇を祀る神社で、秋の神幸祭「炬火祭」は、巨大なたいまつ(炬火)を担いで練り歩くという勇壮なものです。
「炬火祭」は壬申の乱の際、天武天皇が三栖の地を通過するときに、村人達が炬火(たいまつ)を灯して暗夜を照らして歓迎したという伝説に由来しています。何時から行われるようになったのかは不明ですが、少なくとも江戸時代の元禄十三年(1700)の祭の記録が残り、戦後の昭和三十四年(1959)から一時途絶えていましたが、平成元年(1989)に地元住民により復活し、京都市の無形文化財に指定されています。
「炬火祭」は三栖町地域の若者(若中)により行われ、彼らは若中頭や世話役を勤めた後に退いて代替わりします。炬火(たいまつ)作りは、祭の1年前に宇治川の河川敷で葦(ヨシ)を6、7000本刈り取って保存することから始まります。これらは点火部分に使うもので、一年の間、寝かして置くことで穂先が開いていくということです。祭の1ヶ月前には、芯の部分となる葦(ヨシ)を刈って炬火(たいまつ)の芯作りが行われます。さらに化粧葦を編み込む等の数回の行程を経て、直径1.2m、長さ5m、重さ1トンにもなる巨大な大炬火(おおたいまつ)と手炬火(てだいまつ)が完成します。
火祭といえば、山間(鞍馬の火祭、松上げ等)や寺社境内(嵯峨のお松明、岩倉の火祭等)で行われるのが一般的ですが、「炬火祭」は、市街地の一般道路で行われ、火祭形態として非常に珍しいものといわれています。もちろん、昔は人家も少なかったのでしょうが、今は京阪中書島駅があり大阪・京都への通勤に便利な伏見の繁華街近くになっています。そのため交通規制により竹田街道は一時通行止めとなります。
さて、祭当日に大炬火(おおたいまつ)は三栖神社まで巡行して神社に奉納された後、三栖会館前(京阪中書島駅前)まで巡行します。いよいよ午後8時、三栖会館前の大炬火(おおたいまつ)が約30人の若者によって担ぎあげられ点火されます。大炬火は直前に水を満遍なく掛けられて芯まで水を染み込ませています。この水掛けが無いと、炎は一気に燃え広がって担ぎ手が焼死する危険があるからですが、人家が建ち並んでいる市街地の幹線道路上での祭ということを考えれば、万全な危険防止策が必要で、後の鎮火や清掃時間からも当然ということでしょう。
担い棒で担がれた大炬火は、竹田街道を北上して濠川に架かる京橋まで約300m弱程の距離を約30分で巡行することになります。いざ動き出すとけっこう早いスピードで、歩道は見物人で一杯のために、なかなか大炬火に追い付けず撮影は難しかったです。京橋付近では大炬火は何度か回転して祭りを盛り上げ、ここで松明の火は消火されることになります。尚、消化後の燃え残りを持ち帰ると火除けになるといわれているということです。その後、今度は神輿行列が行われ祭は終了します。
若中頭の「三栖の祭は、日本一や!」という叫び声に、沿道の多くの見物人から暖かい拍手が上がっていたのが印象的でした。京都市南部のローカルな祭という感じで、まだまだ知名度の低い火祭かもしれませんが、大炬火が市街地を練り歩くというのも他の火祭には無い特徴で、何と言っても京阪中書島駅前というアクセスの良さからも(四条河原町まで電車10分程度の距離で見られる火祭なんて珍しいでしょう。)一見をお勧めします。
京都では、「大文字五山の送り火」「鞍馬の火祭」「嵯峨清涼寺のお松明」を「京都三大火祭」と呼んでいるようですが、巨大な大松明を用いた祭として「嵯峨のお松明」「岩倉(石座神社)の火祭」そしてこの「三栖の炬火祭」を「京都三大大松明祭」と呼んでも良いのかもしれません。鞍馬の火祭と合わせて、この4つの火祭は迫力ある祭りの好きな方にお勧めです。
その他、全国的に同様の行事のある「松上げ」は、京都では花背、広河原、雲ヶ畑、久田宮の町の4ヶ所で行われ、こちらはしみじみとした寂しさも感じられる叙情的な火祭といった感じでしょうか・・・私はどちらかと言えば近年叙情派ですが。
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三栖神社はいまのこの場所に往時からあったのでしょうか?
一度、焼けたと何かで読んだ様な記憶がありまして。
また、維新前の絵図では高瀬川が濠川に合流するために東に曲折して、今のみす橋は在りませんが、その付近に三栖神社が描かれています。
もちろん縮尺も何も関係のない図ですから分かりませんが、それにしてもいまの場所が絵図と離れ過ぎている様で・・・・・。
2010/4/6(火) 午前 9:43 [ 青と赤・・・ ]
コメントをいただいてから、少し調べてみたのですが、残念ながらわかりませんでした。私もあまり行かない地域なので、地元の史跡愛好家の方ならご存知かもしれませんね。すみません。
2010/5/2(日) 午前 8:40 [ hir**i1600 ]