|
黄梅院の続きです。今回は主な建物等についてです。
参道を進んでまず書院を拝観します・・書院「自休軒」は、伏見城の遺構を移したものと伝えられ、大徳寺開山・大燈国師(宗峰妙超 しゅうほうみょうちょう)の遺墨「自休」を遍額に懸けて軒名にしたものです。「自休」とは、自ら(おのずから)立ち止まって真剣に物事に対していくこと、一考していくこと・・ご住職の説明書きによれば、一度しかない人生、一度しかない私自身が、失敗し悔いの残らない人生を歩むためにも、一度じっくりと座り込んで過ぎ去った日々、これから来る日々を見すえて、親や師や先輩の助言からではなく、自らが自発的に立ち向かっていくことの大切さを述べているということです。
書院内には千利休の茶道の師だった武野紹鴎の作と伝わる四畳半の茶室「昨夢軒(さくむけん)」が組み込まれています。この茶室は永禄元年(1558)の建造ともいわれ黄梅院内の最古の歴史を伝えています。この昨夢軒の席は貴人床になっていて、書院中に組み込まれていることから囲え込み式と呼ばれる様式です。その他黄梅院の約2千坪の境内には、「幻庵」「不動軒」「東禅軒」「向春庵」「碓房菴」「一枝庵」等の歴代の住職の因縁にまつわる多くの茶室を中心とする建物が今日に伝承されているということです。
書院に続く本堂は、天正十四年(1586)に秀吉が改築したもので、禅宗特有の様式をよく表す入母屋造・本瓦葺の建物で、国の重要文化財に指定されています。内部は仏間を中心に「檀那(だんな)の間」、「衣鉢(いはつ)の間」、「礼(らい)の間」、「大書院」に別れていて落ちついた空間を構成しています。昭和五十二年(1977)に400年ぶりに全面解体工事を行っています。
同じく唐門(からもん)も天正十四年(1586)に完成した古建築で重文指定です。表門は、天正十七年(1589)に完成したなだらかな兜型の門で、平成十七年に修理を行っています。また鐘楼は毛利家家臣・益田玄播守によって建立されたもので、獅子頭の彫刻が彫られているのが特徴で、平成十七年(2005)に修理されています。尚、梵鐘は天正十九年(1592)に加藤清正によって寄進された朝鮮伝来のものと伝えられます。
特別公開の見所の一つである庫裏は、日本に現存する禅宗寺院の庫裏としては最古とされる貴重な建物です。(庫裏は火を扱う所のために火災を起こしやすく、古い様式のものはほとんど残っていないようです。)この庫裏は、天正十七年(1589)に小早川隆景の寄進によって建立された切妻造・板葺の建物で、重要文化財に指定されています。内部は火番寮・典座(てんぞ)寮・納所(なっしょ)寮・知客寮・旦過(たんか)寮と夫々の寮舎になっていて禅宗寺院の生活様式を今に伝えています。尚、昭和五十二年(1977)に解体修理されています。
また、黄梅院の襖絵は、桃山時代のもので重要文化財に指定されています。本堂の襖絵は、雪舟の画風を継ぐ雲谷等顔(うんこくとうがん 1547〜1618 毛利家のお抱絵師として知られ雲谷派の開祖 )筆の水墨障壁画(展示されているのはレプリカ)で仏間には竹林七賢図、「檀那(だんな)の間」に西湖図、「礼(らい)の間」に芦雁図等四十四面です。書院「自休軒」の襖絵は、雲谷等顔の子・等益の筆です。また北西の間・八面は江戸中期の小田海遷の筆です。
また、境内入り口にある「萬松院殿・織田信秀公霊所、洞春寺殿・毛利元就公家一門霊所、小早川隆景卿墓所、蒲生氏卿公墓地」と刻まれた石標が示すように(写真)、黄梅庵は織田信長の父・信秀の菩提所で、その後小早川家、毛利家の菩提寺となったために、織田信秀、毛利元就夫妻、小早川隆景(毛利隆元・吉川元春と合わせた毛利三兄弟供養塔)、蒲生氏郷といった有名戦国大名の墓があります。
(残念ながら拝観者は墓地には入れませんが、パネル展示されていましたので掲載します。)
次回に庭園の写真を掲載します。
|