京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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伏見稲荷大社、伏見観光協会のHPを引用させていただいて、伏見稲荷と東福寺の間にある小さな2つの寺社について書いてみます。

まず、田中神社です。
京阪電車の鳥羽街道駅からすぐ近く(東山区本町二十丁目)、伏見街道沿いにある田中神社は、伏見稲荷大社の境外摂社で、祭神は田中大神(たなかおおかみ)です。田中大神は伏見稲荷大社の五祭神の一つでもあり、伏見稲荷が創建される以前から稲荷山周辺に祀られていた神と考えられています。(尚、田中神社という神社は京都市内に3ヶ所程あるようです)

創建年代は不明ですが、かつては田中明神とも呼ばれていました。「古今著聞集」には和泉式部が伏見稲荷に詣でた際に田中明神付近で時雨に遭って、田を刈っていた一人の童が雨具を貸してくれたという逸話が残っていることから、平安時代にはすでに現在の地にあったと考えられています。
また、室町時代の享徳三年(1454)の稲荷祭で無法者から矢を射かけられた稲荷大社の神輿が、この社に避難したという記録があるそうです。今ではたいへん小さな神社ですが境内は緑が多く、特に大きなクスノキは高さ13.1m、幹周1.7mあり区民の木に選ばれています。



続いて、極楽寺です。
東山区本町二十二丁目にある極楽寺は、浄土宗西山禅林寺派に属する小さな寺院です。
前にも何度か書きましたが、この東福寺から伏見稲荷に至る地域は、平安時代中期の延長三年(924)に関白藤原忠平が氏寺として法性寺を建立した場所でした。現在、極楽寺のある辺りは、法性寺の塔頭・十王堂の旧地と伝えられ、江戸時代の古地図には十王堂と記されているということです。

極楽寺という寺名は、伏見区深草にあった大寺極楽寺(現在の宝塔寺の前身。宝塔寺に関しては後日ブログに採り上げます。)の名を受継いでいるということで、本尊阿弥陀如来立像は、鑑真和上の作、或いは行基菩薩の作といわれています。その他、閻魔大王をはじめ、秦広王から五道転輪王までの十王像が祀られていて、これら土製の十王像は、後にこの伏見から発展し全国に広まった伏見人形の原形の一つともいわれています。また丈六の薬師如来座像は、旧法性寺中堂の本尊といわれ、法性寺が衰退した後に現・東福寺の三ノ橋北詰にあった薬師堂に移され、明治十年(1877)以降に極楽寺で祀られるようになったものということです。

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