京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

西陣・北野天満宮他

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上京区御前通一条下がる東堅町にある回向院(えこういん)は、情報の少ない浄土宗寺院ですが、江戸時代後期の画家・長沢芦雪(蘆雪 ながさわろせつ 1755〜99)の墓があることで知られるお寺です。山門横には芦雪の墓があることが記された石標が立っています。(写真)


長沢芦雪は、円山応挙の弟子として「応門十哲」の一人に数えられ、近年、その独自な画風が再評価されている画家です。イラスト画を連想させる芦雪のほのぼのとした可愛い子犬や猿等の絵をご覧になった方も多いかと思いますが、経歴には不明な点が多い人物で、その出自も明らかではありません。 丹波国篠山藩(兵庫県篠山市)の武家の出身、また山城国淀藩(現・京都市伏見区淀本町)の藩士の上杉家に生まれ、長沢家の養子となったともいわれています。その後、年代は不明ですが円山応挙の弟子となり、独自の画境を開きました。

応挙の弟子は千人に及び、応挙が創造した写生画法を忠実に学びましたが、長沢芦雪だけは応挙の模倣では無く、応挙に学んだ優れた描写力に加えて、極めて大胆な構図と奔放な筆力で人を驚かす奇抜な作品を描きました。師の応挙は芦雪の才能を高く評価していたようで、天明六〜七年(1786〜87)にかけて、自身の代理に抜擢して、芦雪を南紀(和歌山)へ遣わしました。芦雪は和歌山でもその才能を発揮し、串本周辺の諸寺院(成就寺(古座町)、無量寺(串本町)、草堂寺(白浜町)、高山寺(田辺市)等)には重文に指定された多くの障壁画等が残されています。

独自の大胆な画風からも何となく感じられるように、芦雪の生涯は様々な真偽の不確かな破天荒な逸話も多いようです。性格は豪放快活で酒豪でもあり、天才肌で傲慢なところもあったようで、応挙から3度も破門されたという話も残っています。その最後も謎に満ちていて、46歳で謎の死を遂げますが、一説には毒殺されたともいわれています。毒殺の真偽は不明ですが、普通の死に方では無かったようで、応挙に才能を認められ自由な生き方をしたことから、他の弟子や周囲の嫉妬と反感を得ていたことも考えられます。

それはともかく、長沢芦雪は、伊藤若冲や曾我蕭白などと共に「奇想の画家」として近年人気が高まっていて、どことなくユーモアを感じさせるその画風は、今でも新鮮に感じられます。
短い生涯で持てる才能をフルに発揮した長沢芦雪は、回向院の墓地に静かに眠っています。

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