京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

金閣寺・大徳寺・鷹峯他

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北区紫竹下竹殿町にある久我神社は、この地区ではまずまずの面積がある神社で、前回に採り上げた石井神社や貴船神社よりは由緒ある延喜式内の古社になります。
大徳寺通と大宮通に東西を挟まれた境内の約半分(境内北側)は、豊かな森で覆われていますが、全体に見晴らしのよい明るく開放的な境内になっています。


久我神社は、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)を祭神とする延喜式内社で、現在は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境外摂社(第八摂社)になっています。
祭神の賀茂建角身命は、神武天皇の東進の際に八咫烏に化身して天皇軍を導いくという大功をたて、のち山城国に入って賀茂川の上流、この久我の地付近に居を定めました。この地域の開発や殖産興業を興した最初の神であり、その後賀茂県主(かもあがたぬし)となって賀茂一族の祖神となったと伝承されています。久我神社は地域を興したこの神の神徳を讃える為に祀られた神社になります。

久我神社の創建年代は不明ですが、平安時代中期の歴史書「三代実録」に貞観元年(859)正月の記録に祭神が従五位下に叙せられている記述があるのが最初の記録になります。鎌倉時代以降は氏神社と称しますが、明治五年(1872)に久我神社と元の名称に戻しています。現在は、祭神が八咫烏となって皇軍を道案内したという伝説によって、航空、交通安全の守り神として広く信仰され、また紫竹一帯の氏神として信仰を集めています。



現在は江戸時代の寛永五年(1628)に造営された本殿と拝殿があり、本殿は一間社流造で上賀茂神社の他の各摂社と同じ造りです。また、拝殿は左右に庇が付く切妻造りで、妻側を正面とする特異なものになっています。江戸時代の京都地誌「雍州府志」によると、この付近には「大宮の森」と呼ばれる豊かな森があったようで、現在の神社境内にはその面影を残す巨樹が繁茂しています。また境内には樹齢六百年という大樹の切り株も残っています。(写真)
久我神社は創建以来「大宮」と呼ばれていたために、その前の通りが「大宮通」と呼ばれるようになったということで、創建時は現在よりも大きな神社として地域のシンボルだったのでしょう。

このように、久我神社境内には現在も「大宮の森」の面影を残す巨樹が残り、また祭神の伝承から古代氏族の賀茂県主との歴史的な関係も深いということで、古代以来の京都の歴史を明らかにする歴史的な環境を良く残しているという理由により京都市指定史跡に選ばれています。

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