京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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北大路堀川の南西方面から(京都市北区と上京区の境界付近でもあります)上京区若宮横町にある今宮神社御旅所と北区紫野雲林院町にある若宮神社(若宮八満宮)を採り上げます。


今宮神社御旅所と若宮神社は、前回に採り上げた玄武神社(写真で御旅所の向こうに写っています)の直ぐ西にあり、両社は大宮通(新大宮通)を隔てて斜め向かいに位置しています。
現在は、大宮通(新大宮通)は南北に開通していますが、昭和五年(1930)頃に紫野周辺が区画整理されるまでは、今宮神社御旅所の辺りで突き当たりとなっていて、付近は大宮通りの終点ということで「大宮頭(おおみやかしら)」と呼ばれていました。
そして、ここから道は西北へ左折して旧大宮通(大徳寺の東を通る大徳寺通)に繋がっていて、大徳寺を経て洛外に抜け、遥か丹波地方まで「さば街道」が通じていました。

現在は今宮神社御旅所の鳥居は西向きで、東を向いた若宮神社と相対していますが、元々は共に南面して並んでいて、若宮神社は御度所の西隣に位置していました。昭和の大宮通(新大宮通)の開通と市街地整備によって御旅所と若宮神社は東西に分断されて現在のような位置関係になったようです。また、この地域は江戸時代以降商業地として栄え、昭和の初め頃には大宮通には商店街が密集していましたが、現在は西陣一帯の衰退とともに商店街も小さくなってしまったということです。



さて、今宮神社御旅所についてです。
北区紫野今宮町にある今宮神社は京都でも良く知られた神社です。小さな神社の御旅所までブログに採り上げる気は無いのですが、今宮神社クラスになると少しは書くことがありそうです。(尚、今宮神社については以前に少しだけ書きましたが、機会が有ればもう少し書いてみたいと思っています。)

今宮神社は元々、平安時代以前から北区の船岡山の東北一帯、紫野に祀られていた「疫神」を祀る社に始まると伝わります。平安時代になって一条天皇の正暦五年(994)に平安京で疫病が流行したため、この疫神を神輿二基とともに担いで船岡山の上に安置し、疫病退散のための御霊会(ごりょうえ 紫野御霊会)が行われました。そして、長保三年(1011)に再び疫病が大流行したために、朝廷は疫神を船岡山から現在地(北区紫野今宮町)に移し、新たに神殿三宇と瑞垣、神輿を造らせて、これまでにあった疫社と共に「今宮社」と名づけました。こうして今宮神社が創建され、その後も疫病が流行るごとに御霊会がおこなわれ、疫神を祀る神社として信仰を集めていきます。

現在の船岡山の東麓(「下り松(現若宮横町)」にある御旅所がいつ頃から設けられたのかは不明ですが、平安時代以降、御霊会が再々行われ、これが今宮神社の祭礼として定着していく中で御旅所が整備されていったのでしょう。応仁の乱以降の戦乱で荒廃した御旅所を、桃山時代に豊臣秀吉が再興し神輿一基を寄進したとも伝わり、江戸時代には御旅所の建物は現在に近いものとなり能楽堂としても用いられているそうです。現在の建物は、天明八年(1788)に焼失し、寛政七年(1795)の再建されたものです。
現在は建物の回りはガレージとなっていて、また鳥居前には常に車が駐車しているような状態ですが、毎年五月に行われる今宮祭の際は、豪華な三基の神輿が今宮神社と御旅所の間を練り歩きます・・そして御旅所に神輿が納められ神様が祀られると、普段は地味な大きな建物もこの時ばかりは立派に感じられます。



続いて、若宮神社(若宮八幡宮)についてです。
京都市北区紫野雲林院町にある若宮神社は、石清水八幡宮を本宮とする八幡宮社で、元々は清和源氏の三代目で、丹波の大江山の酒呑童子征伐や土蜘蛛退治の伝承でも知られる源頼光(みなもとよりみつ・らいこう)の邸内にあった鎮守社がその起こりと伝えられ、祭神は源氏の始祖・清和天皇です。

八幡宮といえば、源氏をはじめとする全国の武士が武の神、弓矢の神として尊崇してきたことで知られますが、元々は源頼光の弟の源頼信に始まる大阪を基盤とする河内源氏が、岩清水八幡宮(京都府八幡市 ブログに採り上げています。)を氏神としたことが大きく影響しています・・・この河内源氏の系統が、武家の棟梁として全国の武士に尊敬される源氏主流となっていったからです。ついでですが、京都で若宮八幡宮といえば、前にブログに採り上げた東山区五条坂の神社が知られますが、元々は源頼光の甥の源頼義が西洞院六条にあった源氏館に創建したもので、江戸時代に現在地に移転しています。(旧地にも若宮天満宮が後に建てられています。)今回の若宮神社(若宮八幡宮)は源氏屋敷が六条に移った後も、この地に社殿だけが残ったとも伝えられますが、実際の創建年代は不明です。

古くは現在地より西の雲林院村にあり、竹林に囲まれた南面する社殿があったようですが、明治十年(1877)に現在地に移りました。その後、昭和五年(1930)の地域の区画整理で社殿は東向きに再建されて現在の姿になりました。尚、以前は境内の東南に旧殿跡があって「落星水」という井戸があったということです(現在は無いようです。)また、伝説ではありますが、平安時代の元慶二年(878)、神職の星野某が神霊を勧請するにあたり箭を空中に向かって放つと、忽然と三つの星が落ちてきて袖の中に消えたと伝えられ、この霊験によってこの地を流星坊と呼んだとも伝えられています。
境内の末社として権太夫大明神、白菊大明神、吉丸明神、久高明神が祀られています。

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