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右京区嵯峨釣殿町、広沢池の西南にある小さな神社が児神社(ちごじんじゃ 兒神社)です。
創立年代は不明ですが、祭神は寛朝(かんじょう)大僧正の侍児ということです。(神社の由来については境内掲示板しか情報がありませんので、引用して掲載してみます。)
遍照寺の時に書きましたが、寛朝大僧正は、成田山新勝寺を開創し、後にこの嵯峨広沢の地に遍照寺を建立した名僧でした。
長徳四(998)年六月十ニ日、この寛朝大僧正が亡くなると、大僧正の霊が遍照寺山腹の老松から龍となって静かに昇天して行くのが見えたということです。大僧正に仕えていた侍児は、悲嘆・悲泣して寛朝大僧正の後を追って、遍照寺山腹下に広がる広沢の池に身を沈めたと伝えられます。
その後、近在の人々がこの児を哀れと思って、その霊を慰めるためにこの社を創建、以来児神社と称されるようになったということです。
この社について、弘化四年(1847)末春に嵯峨青護山人という人物が記している所によれば、女性が懐妊すれば必ずこの殿神に詣でて安産を願って生まれる子の智恵愛敬を祈ったと伝えられます。そして神社の霊験は非常に著しく、昔からこの地域に五体健全、長命の人が多いのは祭神の御神徳による所と崇敬されてきたということです。
尚、寛朝大僧正がこの広沢池畔で座禅した際に、傍らでいつも侍児が腰を掛けていたという石椅子が、境内に移されて拝殿右側に置かれています。そして、何時の頃からか、神前で一心に祈願して、この石に座れば、必ず長命・安産・縁結びが叶うと伝えられるようになったということです。
嵯峨野観光のついでに広沢池まで足をのばされている観光客はよく見かけますが、この神社はまず素通りされています。忙しい観光計画の合間に、態々ガランとしたこの神社の境内で佇んでいる方は余程の史跡ファンでしょう。
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