京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

中京区西洞院通押小路下る押西洞院町にある御金神社は、正しくは「みかねじんじゃ」という全国でも唯一ともいわれる金属を護る珍しい神社で、金運に恵まれそうな名前や、いかにもという感じの近年整備された金色の鳥居等に惹かれて、とりあえず寄ってみたくなる人もいることでしょう。


さて、御金神社の祭神は、金山毘古命(金山彦命 かなやまひこのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読神(つきよみのかみ)の三神です。
神社の由来書きに因れば、金山毘古命は、伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)二柱神の皇子に当たり、五元陽交(天の位)の第一位の神で金乃神、金乃類を司る神ということで、昔は民家で密かに祭祀されてきましたが、御金神社の創建後は「金神(こんじん)様」の愛称で親しまれてきたということです。「金山」=鉱山、鉱物を司る神として、そこから人間の営みの中で用いられる全ての金属類・・鏡や刀剣類の武具、農耕器具としての鍬等を護る神に転じ、現在では鉱工業、農産業の大型機械から家庭の道具類や金属類全てにわたり、さらに近年は、通貨として用いられる金、銀、銅の「御金」を護るということから、「資産運用の神」として広く解釈され、証券類や不動産、転宅や方位、厄除け、旅行の安全までも護る大神として、広く崇められているということです。
確かに境内の絵馬には、競馬の万馬券や宝くじ当選祈願、株価上昇等々の現代人の様々な欲望が書き込まれています。



ここで御金神社の創建についてです。
御金神社は、幕末から明治にかけて生まれた新興宗教・金光教の信者の一人、田中庄吉によって創建されました。当時、金光教の大阪布教の中心人物だった初代白神新一郎(息子も父の死後に同名を継承したために区別されます)の「取次(取次者が参拝者の悩みや希望を聞いて神に伝え、また神の言葉を参拝者に伝えるという金光教の布教活動形態)」で、金光教に入信していた田中庄吉は、京都で布教を開始して500人を越える信徒を得ました。そしてその組織を合法化するため、明治十六年(1883)に、京都府知事・北垣国道の認可を得て、金山毘古命(金山彦命 かなやまひこのみこと)を祀る「御金神社」を設立しました。
当時は、神社の境内南隣には金光教の教室があり、御金神社は金光教の布教活動と密接に結びついていたようです。その後、田中庄吉は明治二十一年(1888)に、神道教会所属御金教会所を設立しますが、金光教としての講社結集運動には参加しなかったようで、その後、御金神社は現在のような金光教との関わりの無い神社へと変貌していくことになりました。

ただし、御金神社は元々金光教の影響下に創建されたために、根本にはその影響は残っているようです。金光教創始者・川手文治郎(金光大神)は、新た金神信仰を生み出した人物として知られます。幕末当時、禍をもたらす陰陽道系の方位神「金神(こんじん)」への民間信仰が盛んで、人々は何事にも日柄・方角の吉凶を調べて、金神の祟り、禍を避けるように心配しながら生活していました。川手文治郎(金光大神)はこの考えを逆転させ、金神を恐れるのではなく、金神の願いに沿った生き方や行動を行っていれば、金神に守られた生活が行えると説いて大きな影響を与えたのでした。
現在の御金神社も、この思想の影響を受けているようで、御金神社の「金神(こんじん)様」は、転宅や方位、厄除け、旅行の安全までも護る大神として崇められています。
尚、最後に、境内西側の銀杏は京都市内有数の大木で、樹高22m、幹回り11m25cm、樹齢は約200年ということです。

「中京・下京」書庫の記事一覧


.
hir**i1600
hir**i1600
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事