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上京区室町通武者小路下る福長町にある福長神社は、昨年、御所周辺の史跡を巡った際に前を何度も通り過ぎてきた神社です。住宅に挟まれた小さな敷地の神社なのでこれまで無視していたのですが、元々は由緒ある神社なので、今回採り上げることにします。
さて、京都御苑の西、堀川通までの間の地域には、いくつかの由緒ある神社があります。
護王神社、菅原院天満宮、霊光殿天満宮です。(霊光殿天満宮は少し前にブログに採り上げました。また、護王神社と菅原院天満宮はかなり以前に少しだけ書きましたが、その内に、もう少しきちんと書いてみたいと思っています。)、今回の福長神社もこの地域にあり、福長町という町名の由来にもなっているのですが、小さいために地図に記載されていないこともあるようです。
福長神社は、福井(さくい)神、綱長井(つながい)神、稲荷神を併せて祀っています。
神社名は、福井・綱長井の二神を合祀することによりますが、稲荷神を合祀したため「福長稲荷」とも呼ばれてきました。(因みに元の祭神が、一般生活に関わりが少ない等でその後信仰されることが少なかった場合は、神社が衰退してしまうため、稲荷や八幡、天神等の有名な祭神を合祀することで信仰者を集め、現在まで存続してきた場合が多いようです。)
さて、現在はこのような小さな神社になっていますが、元々は平安時代に遡る古社でした。
福井神と綱長井神は、平安京の大宮と猪熊の間(一条猪熊)の神祇官西院に祀られていた二十三座中、「座摩巫祭神(いかすりのみかんこのまつるかみ)」五座=(生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神)内の二座として各々別に祀られていました・・・尚、「座摩」は普通「ざま」と読みますが、正式には「いかすり」と読むのが正しく、土地や住居地を守ることを意味する「居所知(いかしり)」に由来するともいわれ、座摩巫祭神の五神は宮所を守護する役割を持っていました。
福井、綱長井の両神は、生井神と共に宮中内の水神(井戸や泉の神)で、生活に欠かせない飲料水を守護する神としてたいへん重んじられていたようです(福井(さくい)とは幸井・栄井の意味で、井戸水の枯れること無い繁栄を願い、綱長井は釣瓶を吊す綱が長く、深く清い井戸を意味しています。福井神は従四位上、綱長井神は従四位上の神階に至りました)
その後、桃山時代の天正十五年(1587)に聚楽第が造営されると、両神は合祀されて福長大明神としてその敷地内に入ったと考えられています。そして、聚楽第が廃された後に現在地に移されました。天明八年(1788)の天明の大火で焼亡した後は、小さな社地になってしまいましたが、日本でも希な水神としての信仰が篤く、明治以降も無格社ですが公許の神社として取り扱われてきたということです。そして、現在も地元の方によって大事に維持管理されているようです。
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