京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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今回は、多くの寺院が建ち並ぶ西陣から華光寺(けこうじ)を採り上げました。
西陣と呼ばれる地域は観光寺院が少なく、京都らしい雅な雰囲気はそれ程無いのですが、ラフで気さくな庶民的な雰囲気があり散歩するのが楽しい地域です。ほとんどの小さなお寺では人の気配が無くて、立ち寄ることをためらわせる雰囲気もあるのですが、今回の華光寺は本堂前に前庭が広がっていて親しみやすいオープンな印象のあるお寺です。また本堂の前に鳥居があるなど神仏混交の名残を感じます。


上京区出水通六軒町西入ルにある華光寺(けこうじ)は、山号を蓮金山(れんきんざん)という日蓮宗妙顕寺派の寺院です。天正十一年(1583)、妙顕寺(現・上京区寺之内通新町西入ルにある日蓮宗京都十六本山を総統する大寺院です。)の第十二世・日堯(にちぎょう)上人が、豊臣秀吉の援助を受け自身の隠居所として創建したと伝えられます。
本堂には本尊の十界曼荼羅をはじめ大毘沙門天や鬼子母神等を祀りますが、特に、本堂右に祀られている毘沙門天像は平安後期の作で、鞍馬寺の毘沙門天像と同木同作とも伝えられ、豊臣秀吉が伏見城に祀っていたものを華光寺の守護神として寄進したといわれています。江戸時代以降、この毘沙門天像は開運厄除けの神として信仰を集め、現在でも華光寺は「出水の毘沙門さん」と呼ばれ親しまれています。


京都府指定有形文化財に指定されている梵鐘は、高さ102cm、口径57cmあり、鎌倉時代の正応元年(1288)に丹波国愛宕山別院厳辺寺の鐘として、鋳物大工橘則弘が作ったという銘があります。境内墓地には幕末の京都町奉行与力で天皇陵の研究家として知られる平塚瓢斎、幕末の土佐派の画家宇喜田一恵の墓や、肥後熊本藩初代藩主の加藤清正の子孫一族の墓碑など三十数基があり、また火付盗賊改めとして活躍した西町奉行長谷川平蔵の父・長谷川宣雄の葬儀が華光寺で行われた時の葬儀記録も保存されているということです。


さて、上京区出水通の「出水(でみず)」という名前は、この周辺が大雨の度に水が溢れたことに由来するといわれます。前に「観音寺の泣く山門」というのを採り上げましたが、この地域周辺の寺院には、「出水の七不思議」という伝説が残っています。

幾つか諸説あるようですが、
○観音寺の泣く山門(伏見城の牢獄の門を移建したと伝えられ、夜には泣き声を発したと伝わります。)

○地福寺の日限薬師(小さな穴の開いた小石を奉納して、日を決めて祈願すると、耳の聞こえないのが治ると伝わります。)

○光清寺の浮かれ猫(絵馬の猫が、絵馬から抜け出して遊んだと伝わります。)

○五却院の寝釈迦(門の潜り戸の木目が釈迦が横たわる姿に見えるということです。)

○極楽寺の両袖の潜り戸(山門の潜戸が左右二つ有ります。)

○極楽寺の金谷水(秀吉が茶会に用いた勝負に勝つという名水)

○玉蔵院の円山応挙の幽霊掛け軸

そして、今回の華光寺には、時雨の松(秀吉の手植えといわれ、晴れた日でも枝から雫を落としたと伝わりますが、大正五年に枯死しました。)、五色椿(五色の花を付けたといわれます。)が数数えられています。
残念ながら二つ共、枯死してしまいましたが(松の切り株が鐘楼の下に置かれています(写真)
、境内の庭園では子孫の松や七種の椿が植えられているということです。その他、境内には、切り石を用いた鋪装道や池が整備され、可愛いお地蔵さん等も置かれていて小さな憩いのスポット的な親しみやすさがあります。

「西陣・北野天満宮他」書庫の記事一覧

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