京都を感じる日々★古今往来Part1・・・京都非観光名所案内

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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上京区新町通上立売下ル上立売町にある三時知恩寺(さんじちおんじ)は、浄土宗知恩院派の門跡尼寺で、北朝の崇光天皇の御所「入江殿」に由来することから「入江御所」ともいわれます。
このお寺も、門跡寺院らしい奥ゆかしさというか、同志社大学の新町校舎に対面しているのですが、知らない人は気がつかずに通り過ぎてしまうかもしれません。(由緒ある門跡寺院として通常非公開ですが、数年前に「京都の冬の旅」で特別公開されています。)


三時知恩寺の創建は、室町時代の応永年間(1394〜1428)、北朝第四代後光厳天皇の皇女・見子(俔子 けんし)内親王(入江内親王)が、一条西洞院(上京区)にあった北朝第三代崇光天皇の御所「入江殿」を賜ったのが始まりと伝わります。見子内親王は深く仏教に帰依し、宮中に安置された唐から招来した善導大師像を賜って本尊として祀りました。そして足利義満の女・覚窓性善尼を開山として知恩寺と称したと伝わります。見子内親王が、浄土教の大成者として知られる唐の高僧・善導大師像を深く信仰したように、三時知恩寺は浄土宗の道場として発展していきます。


その後、第百一代称光天皇の皇女・了山尼公が入寺して、唐僧の善導大師が記した「往生礼讃偈」に基づいて1日を6つに分け、読経や念仏、礼拝を行う「六時勤行(ろくじごんぎょう 六時礼讃)」の道場としたということです。また、「三時知恩寺」という寺号も、この「六時勤行」に由来しています・・・
室町時代末の戦乱期に即位した第百四代後柏原天皇は、仏教に深く帰依し、この宮中で昼夜六時行われる勤行の内、昼間の三時(みとき)はこの寺で修行するように定めたので、寺号を「三時知恩寺」と改めたと伝えられます。
室町末期の正親町天皇の頃(在位1557〜86)に現在地に移ったと伝えられますが、正親町帝即位以前の1520年代代に画かれたとされる現存最古の「洛中洛外図屏風(歴博甲本)」に、近衛邸の傍として既に現在の上立売の地に描かれています。また歴史書「応仁記」の応仁の乱の記述等に拠っても、より早い時期に移転していると考えられるようです。以来、明治維新まで皇女や近衛家息女の入寺が続きました。


現在の入母屋造檜葺きの本堂や書院をはじめとした建物は、江戸時代の天明八年(1788)の天明の大火で焼失した後に、第百十六代桃園天皇の皇女・恭礼門院の旧殿を賜って再建されたものです。
本堂には本尊阿弥陀如来像、側に俊仍が宋から請来したという善導大師像が安置され、書院前には枯山水庭園「蓬莱の庭」があります。
また、寺宝として国の重要文化財に指定されている近衛予楽院(近衛家熙)画像や京都市指定文化財の狩野永納筆の「花鳥風屏風(京都国立博物館寄託)」、丸山応挙の書院襖絵「えり漁図」、石田幽汀筆「松島橋立図屏」、皇室ゆかりの御所人形等を所蔵しています。

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2003年までこのすぐ近くに住んでいました。
中に入れた時期があったんですねー。
1枚目の画像の門はよく見おぼえがあるから懐かしいです。

2008/2/20(水) 午後 6:32 ヨゼフ 返信する

ご訪問ありがとうございます。京都の門跡寺院では毎年数ヶ所特別公開される所がありますが、三時知恩寺も久しぶりにまた公開して欲しいですね。

2008/2/20(水) 午後 9:09 [ hir**i1600 ] 返信する

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