京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

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京都市中京区麩屋町通二条上ル布袋屋町にある大福寺は、民家と変らない非常に小さいお寺ですが、京都七福神の第七番札所、京都十二薬師の第十番霊場として知られるお寺で、通称「菩提薬師(ほていやくし)」と呼ばれ親しまれています。
創建は飛鳥時代に遡るというあたり(聖徳太子創建伝説のある多くのお寺と同様)、どうかな?とも思ってしまいますが、ともかく由緒ある寺院だったようです。


大福寺は、正式には「瑠璃光山利生院大福寺」という天台宗寺院です。
寺伝によれば、創建は非常に古く、飛鳥時代の推古天皇の六年(594)、大和国宮田郷(ごうり)に建立され、聖徳太子自身が刻んだ薬師如来像を祀ったということです。その後、天台宗寺院となったようで、平安時代末期の後三条天皇の勅願に依り鎮護国家の道場となり、室町時代初期の延文元年(1356)に勅詔により京都に移転して方八丁(約880m四方)の寺域を賜わって七堂伽藍を建立したと伝わります。代々の皇室朝廷の崇敬は極めて篤かったということですが、天明年間(1781〜88)の火災(恐らく天明八年(1788)の大火)により焼失し現在のような僅かにその面影をとどめる小さな寺院になったということです。

境内は幕末の勤王志士・梅田雲濱の遺蹟でもあります。
梅田雲浜(1815〜59)は若狭小浜藩の藩士の家に生まれました。儒学者として大津に湖南塾を開き小浜藩の塾望楠軒の講主として迎えられますが、海防策の意見書を藩主に提出したのが、藩政批判とみなされ版籍を剥奪されます。こうして浪人となった雲濱は、妻を抱えてその日の暮らしも出来ないほど困窮しましたが、ペリー来航時には尊皇攘夷を唱えて同志たちの精神的な指導者として活躍します。しかし、安政の大獄により吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等と共に捕えられ、獄死しました。大福寺は雲濱が仮寓して妻女を迎えたところということです。



さて、本尊の菩提薬師像は聖徳太子の作と伝えられ、大福寺は「京都七福神」の第七番と「京都十二薬師」の第十番霊場に数えられます。
江戸時代から大福寺界隈の商家では、正月に金銭出納帳に縁起の良い「大福」寺の宝印を授与する慣わしがあって、これが「大福帳」という言葉になったということです。現在も正月に大福帳に宝印を押してもらうと、その一年商売繁盛がかなうといわれます。(尚、本尊は毎年1月17日に開帳)


「京都七福神」です・・・

布袋尊(大福寺 中京区)
寿老神(革堂(行願寺 中京区)
えびす神(護浄院 上京区)
毘沙門天(廬山寺 上京区)
弁財天(妙音堂 上京区)
大黒天(妙円寺 左京区)
福禄寿(遣迎院 北区)
(尚、京都には、他に京洛七福神・都七福神・泉涌寺七福神・天龍寺七福神など幾つかの七福神巡りがあります)



「京都十二薬師」です・・・

第1番 因幡薬師(平等寺 下京区)
第2番 金剛薬師(東寺 南区)
第3番 水薬師(水薬師寺 下京区)
第4番 歯痛止薬師(壬生寺 中京区)
第5番 日限薬師(地福寺 上京区)
第6番 峰薬師(福勝寺 上京区)
第7番 脚気薬師(雙林寺 東山区)
第8番 鍬形薬師(大超寺 左京区)
第9番 不来乎薬師(薬師院 中京区)
第10番 菩提薬師(大福寺 中京区)
第11番 寅薬師(西光寺 中京区)
第12番 蛸薬師(妙心寺 中京区)

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