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出水通六軒町東入る七番町にある玉蔵院は、ごく普通の寺院という印象で、書くネタもあまり無いので採り上げようか迷ったのですが、京都市上京区のHPに出ているので写真を掲載して、上京区のHPの引用を中心に書いてみます。
西陣の出水通の周辺には、一番町から七番町という町名があります。これは、天正十五年(1587)、豊臣秀吉が聚楽第を築いた際に、平安京の大内裏址の内野の地に一番から七番の組屋敷を置いたことによるといわれています。
聚楽第の外郭範囲としては、北は元誓願寺通(もとせいがんじどおり)、東は堀川通、南は押小路通(おしこうじどおり)、西は千本通に至る東西約600m、南北約700mという大きさで、周囲には幅30m以上にも及ぶ堀をめぐらしていたと考えられているので、千本通の西にある一番から七番の組屋敷は聚楽第の西の守りでもあったのかもしれません。
そして、聚楽第が廃絶された後の荒地には、多くの寺院が立ち並ぶことになりました・・・一番町には大寺院の立本寺があります。二番町には安養寺。三番町には観音寺や福寿院、大雄寺。四番町には報土寺。五番町には長徳寺、国生寺。七番町には福勝寺、華光寺、慈眼寺、本昌寺、光清寺、五却院等。
その後、江戸時代末期からは水上勉の小説で映画化もされた「五番町夕霧楼」で知られるように、五番町には遊郭が建ち並び(昭和三十三年(1958)の売春防止法施行により廃止となりました。)また新しい娯楽として映画館も増え一大歓楽街となりました。
さて、七番町にある多くの寺院の中でも、玉蔵院はかなり地味なお寺です。臨済宗妙心寺派の寺院で、江戸時代初期の寛永十一年(1634)、仏頂上人により創建されました。重要文化財指定の絹本著色芦葉達磨図は、南北朝時代の道釈人物画で、東福寺の禅僧固山一鞏(こざんいっきょ)の賛のあることで知られるということです。
前に書きましたが、この上京区出水通の「出水(でみず)」周辺の寺院には、「出水の七不思議」という伝説が残っています。
幾つか諸説あるようですが、
○観音寺の泣く山門(伏見城の牢獄の門を移建したと伝えられ、夜には泣き声を発したと伝わります。)
○地福寺の日限薬師(小さな穴の開いた小石を奉納して、日を決めて祈願すると、耳の聞こえないのが治ると伝わります。)
○光清寺の浮かれ猫(絵馬の猫が、絵馬から抜け出して遊んだと伝わります。)
○五却院の寝釈迦(門の潜り戸の木目が釈迦が横たわる姿に見えるということです。)
○極楽寺の両袖の潜り戸(山門の潜戸が左右二つ有ります。)
○極楽寺の金谷水(秀吉が茶会に用いた勝負に勝つという名水)
○華光寺の時雨の松(秀吉の手植えといわれ、晴れた日でも枝から雫を落としたと伝わりますが、大正五年に枯死しました。)
○華光寺の五色椿(五色の花を付けたといわれますが、枯死しました)
○玉蔵院の円山応挙の幽霊掛け軸
この「出水の七不思議」になっている玉蔵院の円山応挙筆の掛け軸は、肺病で瀕死の遊女を描いたもので、その姿が幽霊に見えるというものだったそうですが、数十年前から行方不明になってしまって残念ながら今では見ることは出来ないということです。
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