京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

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下京区仏光寺通猪熊西入西田町西北西田町にある天道神社(てんどうじんじゃ)は、現在は小さな神社ですが、平安時代以前に遡る古社ということです。


天道神社の祭神は、主神として中央に天照大神、八幡大神と春日大明神を左右に祀っています。
元々は、天道宮と呼ばれ、山城国長岡(現・京都府長岡京市)の地に祀られていたということです。
延暦十一年(792)、長岡を始めとする付近の七郷村に悪疫が流行し、家畜が全滅に瀕しましたが、村人達が天道宮に祈願したところ、1頭の犠牲もなくたちまちに全治したと伝えられます。このように、村人の信仰は非常に厚かったようで、天道宮が平安京に勧請されたときは村人から家畜にいたるまで全員が沿道に並んで見送りをしたということです・・・・何となくホノボノした情景が浮かびます。


さて、天道宮は平安遷都の際に桓武天皇によって、国家安寧、子孫長久、萬民豊饒を祈願するために、平安京の銅駝坊(どうだぼう)の南方、三条坊門東洞院(現在の東洞院通御池上ル付近)に勧請されました。当時は神社の境内は、一町四方(約110m四方)に及ぶ広大なものでした。
また、祭神を同じくする伊勢神宮との関係が深かったようで、宇多天皇の皇子・行明親王(ゆきあきしんおう)の母は、境内に伊勢遊宴の亭を造営し親王や御息所(新王の妃)をはじめ側近達もしばしば訪れ、後には境内に御殿を造営して、自ら松楓を植林したとの記述が平安末期の歌人・清輔朝臣の『袋草紙』に書かれているということです。

このように、かつては荘厳な社殿だったようですが、南北朝の戦乱期に兵火により焼失し、その後は約二百年もの間は民家に細々と祀られていました。ようやく、天正二年(1574)になって、織田信長から五条坊門猪熊(現在地)に社地を授けられ再興しました。その後、天明八年(1788)の大火で焼失して再建され、その後数度にわたり修繕して今日に至るということです。

境内には、摂社として約束稲荷神社、天道天満神社、厳島社 (弁財天)、八坂社があり、明治天皇の皇后・昭憲皇太后が生まれた際の後産(胎盤)を埋めたという塚があります(皇太后御胞衣埋納所)
また、拝殿中には、区民の誇りの木にえ選ばれている御神木のクスノキ(高さ19.5m)やオガタマノキ(高さ13.5m)が聳えていて、本殿周辺は小さな森となっています。

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