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京都を代表する神社の一つ、八坂神社には3つの御旅所(境外社)があります。
祇園祭の際に神輿が安置される四条通りに面した四条御旅所(四条寺町東入ル)、大政所御旅所(下京区烏丸仏光寺下る東側大政所町)、そして今回の三条御供社(ごくうしゃ)です。御供社は三社の中でも最も神社らしく整った境内をもっています。(八坂神社のHPを参考に書いてみます。)
京都市中京区御供町、京都三条会商店街にある八坂神社御供社(ごくうしゃ)は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)を祭神とする八坂神社の境外摂社で、社名(御供社)と町名(御供町)は、祇園祭(祇園御霊会)の際に、この地で御供社奉饌祭が行われることに因んでいます。
さて、京都の代表する祭として知られる祇園祭(祇園御霊会。祭日は6月14日、明治以後は7月24日に変更)は、平安時代の貞観十一年(869)に、都で原因不明の疫病が流行した時、病気を起こしたと考えられた疫神や怨霊を鎮めるために、平安京(大内裏)の南東にあった広大な庭園(北は二条〜南は三条に至る)、神泉苑に当時の国の数を表す六十六本の矛を立てて祇園社(現八坂神社)の神輿を迎え、祇園御霊会が行われたことに始まると伝えられます。
その後、神泉苑の東南の地に一社が祀られましたが、これが御供社の創建ということです。江戸初期に徳川家康が二条城を築城した際、神泉苑は縮小してしまいますが、当時の池の南端に立つ御供社は存続継承されました。そして、明治六年村社に列格、明治三十九年(1906)に村社を廃して八坂神社の境外末社になり現在に至ります。
元々、平安時代以来、御供社のある三条大宮の地は、祇園御霊会(祇園祭)の際に祭り行列を点検する場所を意味する「列見の辻」と呼ばれていて、都の北側を巡る少将井(櫛稲田姫命)神輿と、南側を巡る大政所(素戔嗚尊)神輿と八王子(八柱御子神)神輿が合流する地であったと伝えられています。
祇園祭の還幸祭(7月24日)では、四条御旅所を出発した三基の神輿が、各々のコースを経て(この内、中御座(素戔嗚尊)の神輿は、神泉苑に一旦渡御安置され神仏に拝礼が行われます。)、この御供社に集結し、ここで奉饌祭が行われます。この際、御供社の前に池の水辺を表す芝生が敷かれ、「オハケ」という三本の御幣(神様が依り代)を立てて神饌を供えますが、これは御供社が神泉苑の池の辺の祭場であったことに由来しているようです。こうして、三基の神輿を迎えて、神饌を供えて御供社奉饌祭が行われた後、八坂神社に還幸し神霊を神輿より本社に還して祭典が行われることになります。
このように、祇園祭で四条京極(四条寺町東入ル)にある御旅社に一旦神輿を安置した後、再びこの地に神輿が移るため、御供社は、「又旅所」ともいわれ、「またたびさん」の愛称で呼ばれています。
最後に、ついでですが、御供社からそれ程遠くない所にある小さな稲荷神社を採り上げます。
三条商店街から直ぐ南、中京区三条坊城下る壬生馬場町にある小さな杉春稲荷明神社(すぎはるいなりみょうじんしゃ)です。住宅街の路地の奥にある壬生馬場町の鎮守の祠です。
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