京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

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中京区蛸薬師通堀川東入る亀屋町にある空也堂は、観光寺院では有りませんが、平安時代中期に空也上人が創建したと伝えられ、重要無形民俗文化財の六斎(ろくさい)念仏でも知られるお寺です。


空也堂というのは、空也上人像(非公開)を本尊とするため一般的に呼ばれている通称で、正しくは紫雲山光勝寺極楽院(しうんざんこうしょうじごくらくいん)という天台宗寺院です。平安時代の天慶二年(939)に空也上人が開創したといわれ、当初は三条櫛笥(現今新在家西町)にあったので櫛笥道場とも市中道場とも呼ばれていました。その後、応仁の乱で焼亡し、江戸時代の寛永年間(1624〜43)に現在地に再建されました。


さて、空也上人(903〜72)は、その出生については醍醐天皇の皇子説等諸説があり不明ですが、若くして諸国で修行し、尾張国の国分寺(尾張国分寺)で出家。その後も鐘を叩いて南無阿弥陀仏と念仏を唱えながら再び諸国を廻ったと伝えられます。
それまでの仏教はあくまで貴族のためのもので、生活の余裕も無く識字率も低い一般民衆には普及していませんでしたが、上人は念仏という簡単な方法を用いて民衆に直接説いて回りました。そして各地で橋や道、井戸などを整備し、野に捨てられている死骸を火葬して荼毘に付すなど社会事業にも努めたことで、貴賤を問わない多くの帰依者を得ました。
こうして、常に市中にあって広く民衆への殿道に努めたことから空也上人は「市聖(いちのひじり)」、「阿弥陀聖(あみだひじり)」、「市上人(いちのしょうにん)」等と呼ばれ親しまれました。


空也上人は天慶二年(939)に京都に戻って空也堂(極楽院)を建てるなど活動し、天暦二年(948)には比叡山で座主延昌より大乗戒を受けました。さらに、市中に疫病が流行したために天暦五年(951)に自ら十一面観音菩薩(六波羅密寺本尊、重要文化財)を刻んで一堂(西光寺=後の六波羅蜜寺)に祀ったと伝わります。また、この時、十一面観音菩薩を車にのせて洛中を曳き廻り、その仏に供した薬湯の茶を病人にあたえて疫病を救ったとも伝えられます。(上人の弟子定盛は、その後その遺風を伝えて茶筅を作り世に広め、これが「王服茶筅」の起こりということです。)
応和三年(963)には、西光寺(六波羅蜜寺)の諸堂が完成。そして、天禄三年(972)に庶民への伝道に尽くした空也上人は、西光寺(六波羅蜜寺)で七十才の生涯を閉じました。
上人の死後も門弟達は、空也の布教活動(上人は鉦を鳴らしながら念仏布教を行ったことで、後世、踊り念仏の開祖ともいわれています)を踏襲して広め、鎌倉時代の一遍上人をはじめ中世の高野聖など民間布教僧に大きな影響を与えることになりました。こうして空也上人は、庶民に広く念仏を布教したことで、「念仏の祖」、「浄土教の祖」とも評価されています。



空也堂では、毎年十一月の第二日曜日(元は十三日)の空也忌に、空也上人を偲んで開山忌(空也忌)の法要が営まれます。この日は、王服(おうぶく)茶の献茶式の後、空也僧による歓喜踊躍(かんぎゆやく)念仏と重要無形民俗文化財の六斎(ろくさい)念仏焼香式が奉修されます。

この六斎念仏と空也堂の関係です・・・
六斎念仏は、鉦や太鼓を鳴らし念仏を唱えながら踊る民俗芸能ですが、今も京都各地の寺院及び保存団体によって伝承され、国の重要無形民俗文化財に指定されています。(現在は京都各地でお盆をはじめとする行事の際に行われています)
六斎念仏がいつ頃から始まったのかは不明ですが、空也上人が仏教の忌日である六斎日(八、十四、十五、二十三、二十九、三十の六日)に、京都の市中で、念仏を唱え鉦や太鼓を叩いて「踊躍念仏(空也踊躍念仏踊り)」を広めたことが、後に六斎念仏になったという伝承があります。
その後、六斎念仏は、江戸時代には念仏踊を中心とする従来の「念仏六斎系」の他に、浄瑠璃等の要素を取り入れたより風流・娯楽化した「芸能六斎系」が登場して、今日までこの二系統に分れて伝承されています。そして、空也堂傘下の「空也堂系」と光福寺(左京区。ブログに採り上げています。)傘下の「干菜寺系(光福寺)」の二つに分かれ、各六斎念仏団体はどちらかの寺院から免許を与えられその傘下に入っていました。
現在は、空也堂といえば、六斎念仏という程知られていますが、それは上記のように、空也上人が念仏踊りの開祖でそれが六斎念仏の起源になったという伝承の他、江戸後期から空也堂が各六斎念仏講中に免許を与えていたという関係に因ります。そして、現在の各六斎念仏講中の大部分は「空也堂系」になっています。




最後に、ついでですが、空也堂のすぐ隣にはガレージを挟んで龍田稲荷神社があります。
中京区蛸薬師油小路西入る山田町にある龍田稲荷神社は、詳細は不明の小さな神社ですが、この地は元々安土桃山〜江戸初期の大名として知られる藤堂高虎(1556〜1630)の下屋敷があった地でした。
この屋敷の鬼門に祀られていた民部稲荷大明神(みんぶいなりだいみょうじん)と、亀屋町内に祀られていた龍田稲荷大明神(たつたいなりだいみょうじん)、そして四坊堀川町に祀られていた御福稲荷大明神(おふくいなりだいみょうじん)の三神を明治以降に合祀した稲荷神社ということです。また末社として大弁財尊天を祀ります。

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