京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

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JR京都駅から西へ徒歩約10分、下京区岩上通塩小路上ル三軒替地町にある宗徳寺(そうとくじ)は、境内の一堂に、淡島神社(和歌山県和歌山市加太 三月の「雛流しの人形供養神事」でも知られる全国の粟嶋・淡島・淡路神社の総本社)より勧請した粟嶋明神を祀ることから「粟嶋堂」の名前で親しまれています。現在は水子供養や人形供養で有名で、境内には奉納された多くの人形が安置されていて印象的です。



寺伝に因れば、宗徳寺は室町時代の応永年間(1394〜1428)に、行阿上人によって創建された西山浄土宗に属する寺院で、本尊は阿弥陀如来を祀ります。その後、宝徳年間(1449〜52)に南慶(なんけい)和尚が、紀伊国(和歌山県)淡島で感得した虚空蔵菩薩(=粟嶋明神 かつては神仏習合が一般的でした。)をこの地に勧請して境内に祀りました。(粟嶋堂では、神仏習合時代の本地垂迹説により、祭神粟嶋大明神の本地佛は虚空蔵菩薩、垂迹神は少彦名命とされています。)
南慶和尚が粟嶋明神を勧請して上洛する際には、当地辺りで急に御神体が重くなったのを、これは御神意だとしてこの地に祀ったと伝えられ、以来、粟嶋神社は宗徳寺の鎮守社として祀られてきました。その後、明治時代の神仏分離令により粟嶋堂と改称しました。



粟嶋明神は、古来より婦人の守護神とされ、婦人病の平癒や安産祈願にご利益があるとして、粟嶋堂は女性参拝者を集めてきました。
特に、江戸時代には粟嶋明神の霊験は広く伝わり、第百十九代・光格天皇や百二十一代・孝明天皇は度々代参させていたと伝わり、歴代后妃や文人画家・富岡鉄斎も参詣しているということです。
また俳人・与謝蕪村も、娘の病気回復祈願のためにこの地を訪れ、一心にお百度参りをしている女の姿を見て、「粟嶋へはだしまいりや春の雨」という句を残しています。(この時詠んだ句碑が境内に建てられています。)その他、粟嶋堂北の庭内にある石灯籠は、応永二十八年(1421)の刻銘のある弥陀板碑(みだばんひ)が用いられているということです。

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ゴールデンウィークも暇ですよね( ̄▽ ̄)

お邪魔しました(o^-’)b

2008/5/4(日) 午後 2:28 [ 鈴なり ]

ありがとうございます。

2008/5/17(土) 午後 4:58 [ hir**i1600 ]


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