京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

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下京区諏訪町通五条下る下諏訪町にある諏訪神社は、今年「尚徳諏訪神社」に改名されたということです。
諏訪神社はたいへん由緒ある古社で、下京区の上諏訪町、下諏訪町、諏訪町通の名前はこの神社名に由来しています。しかし、近年は宮司がいないために管理が出来ず、一時は取り壊してしまおうという話しもあったそうです。現在は尚徳学区の住民が、自分達の地域の神社にしようと維持管理に努めているということで、住民たちが社名を「尚徳諏訪神社」に改称したのも地元の神社を守っていこうという気持ちの現れのようです。(このブログに採り上げている史跡も何時の間にか消滅してしまっていたなんてことにならないように願いたいものです。)



さて、諏訪神社の祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)と八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)です。両神は大国主神の子の兄弟神で、古事記や日本書紀の国譲りで登場してくる神様から転じて生産開発の神として様々な開運招福のご利益があるということです。また、この神社は坂上田村麻呂や源義経など武人に信仰されたと伝えられます。

平安時代初期の桓武天皇の延暦十六年(797)、坂上田村麻呂は征夷大将軍に任じられ、陸奥国での蝦夷との戦争を指導しました。坂上田村麻呂はかねてより信州諏訪大明神を深く信仰していましたが、東国遠征では諏訪大明神の神威と加護もあって大きな戦果を挙げ、延暦二十年(801)十月に無事に都に凱旋することができました。田村麻呂は、諏訪大明神への感謝のために都の五条坊門の南に社殿を造営し、信濃より諏訪大明神の分霊を勧請して祀ったのが、諏訪神社の始まりと伝わります。
その後、月日の経過と共に社殿は荒廃したようですが、平安時代末期の文治二年(1186)に源義経が、荒廃していた社殿を再建、社域を広げ、樹木を植えて池を造るなどして、以前にもまして広い神域となったと伝わります。この時に造営された境内の池は「諏訪池」と呼ばれ、魚や水鳥が群棲する大池として後世まで残っていたということです。

その後、南北朝時代の建武年間(1334〜36)の兵火に遭って再び衰退しましたが、将軍足利義満が神馬を奉納して神域を復活したと伝えられます。また、江戸時代の慶長年間にも社伝の修復が行われ、さらに将軍徳川綱吉の頃には、境内で社殿復興のために大相撲興行が行われています。天明八年(1788)の大火、さらに元治元年(1864)の蛤御門の変の兵火で社殿は全焼しましたが、この時、資金も無く再建は困難と思われましたが、孝明天皇から再建費用として金百五十両と菊御文提灯一対を下賜され、これに力を得た地元住民の努力によって慶応二年(1866)に無事再建することが出来たということです。
また、江戸時代には、獣肉を食べる者は諏訪神社の神箸を受けて食べれば、汚れが無いという信仰があったと伝わります。

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