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前に、清水寺から東山五条に続く五条坂付近の鎮守社として若宮八幡宮を採り上げました。今回はその旧社地に祀られた同名の神社です。
若宮八幡宮の来歴については、五条坂の神社と重複しますが書いてみます。
若宮八幡宮は、平安時代の天喜五年(1058)、河内源氏の棟梁・源頼義(八幡太郎義家の父)が後冷泉天皇の勅を奉じて六条醒ヶ井(ろくじょうさめがい 左女牛)に創建したと伝わります。畿内の八幡神の本拠地・石清水八幡宮に対して、八幡の若宮と称し、六条八幡、左女牛八幡(さめがいはちまん)とも呼ばれていました。
平安時代には五条大路までが市街地で、源氏の京都での本拠地は六条大路付近にあったようです。堀川六条には後に源為義、義朝等河内源氏の棟梁が館を構え、義経も宿所にしていました。それ以前の源頼義や義家は若宮八幡宮のある現若宮町に館を構えていたようです。(現在、若宮八幡宮の石碑の側面には「八幡太郎源義家誕生地」と刻まれています。)館の傍に建立された神社は以降、源氏の守り神として、源氏一族や多くの武士から信仰されました。
「吾妻鏡」によると、源頼朝は、文治三年(1187)一月に六条以南、西洞院伊東の一町を左女牛御地を六条若宮に寄進したと記されていて、この寄進地は現在の若宮町周辺一区画になります。また同年(1187)六月十八日には若宮八幡宮で放生会を行うようとの沙汰があり、八月十五日に鎌倉の鶴岡八幡宮と共に放生会が行われたのが今日の例祭のはじまりということです。もちろん、頼朝は、建久元年(1190年)十一月と同六年(1195)三月から六月の二度の上洛の際、石清水八幡宮と共に若宮八幡宮に参拝し臨時の大祭を斎行しています。
さらに室町時代には歴代の足利将軍家からの崇敬を受け栄え、当時は楼門や三十塔等もある壮麗な神社だったようですが、応仁の乱により焼失しました。その後、十三代将軍義輝や弟義昭の発起により諸国の戦国大名の寄附により再建され、豊臣秀吉の京都改造により天正十二年(1584)に当時の御旅所のあった東山に、さらに同十六年(1588)に大仏方広寺の北に移されました。そして、慶長十年(1605)、照高院門跡道澄(近衛家出身で、聖護院門跡等を務め、三井寺を復興するなど活躍)が、徳川家康の支援も得て東山五条坂に移しました。
現在の若宮町の八幡宮は、その後も旧地に祀られていた小祠を若宮町住民らが社殿を再興して祀ったもので、末社として若宮稲荷神社も祀ります。
若宮八幡宮は、今では源義経ゆかりの京都の史跡の一つとして知られた神社です。
ついでですが、若宮八幡宮のすぐ北西、下京区若宮通六条上る上若宮町にある福若稲荷神社の写真も掲載しておきます。昭和の創始という小さな上若宮町の鎮守社のようです。
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