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下京区東洞院通塩小路下ル東入高倉町、JR京都駅から徒歩数分のところにある小さなお寺が、正行院(しょうぎょういん)です。
開山の円誉上人が猿を救ったという伝説があり、境内には多くの猿の人形などが納められています。また門前にある「輪形地蔵(わがたじぞう)」も交通安全のご利益があるお地蔵様です。(尚、今回訪問した時は、本堂が改修中だったために、本堂の写真が無いです。次回はお寺に事前連絡して、本堂内を参拝させていただきたいと思います。)
さて、正行院は、室町時代の天文七年(1538)に創建された浄土宗捨世派(しゃせいは)の寺院です。「猿寺」という通称の由来です・・
開山・円誉道阿(えんよどうあ 1496〜1584)上人が、北山の中川(現・北区の周山街道沿いの集落)の里に庵を結んで念仏修行している時のことです。上人は、いつも山に棲む動物たちを可愛がっていましたが、ある時一匹の猿が上人のために自然薯(じねんじょ)を採ろうとして谷底に落ちて死んだということです。円誉上人はこの猿を弔って、災難除けと来世には人間に生まれ変わる仏縁結縁を願って、山の他の猿たちの首に「南無阿弥陀仏」の名号を書いたお守りを付けてやったということです。
その後、元亀二年(1571)、完又十郎という猟師が北山で大きな猿に出会って弓矢で狙うと、猿は首の輪を引っ張りながらしきりと又十郎を拝みます。不思議に思った又十郎が、「命は助けるので、その首輪を置いていけ。」と言うと、猿は首輪を置いて逃げました。首輪の中に「南無阿弥陀仏」と書かれた紙切れを見つけた又十郎は、人に尋ねて、これが円誉上人が書いたものと知り上人を訪ねます。そして、円誉上人から猿のお守りの由来を聞いた又十郎は、猟師として殺生を重ねてきた我が身を省みて改心し、正行院の住職となっていた上人の弟子になって動物供養に生涯を送ったと伝えられます・・・この縁起から、正行院は、「災難さる」の猿寺と呼ばれるようになったということです。その後、明治頃までは広い寺域があったようですが、京都駅周辺の都市化によって縮小しました。
本堂は、伏見城が壊された際、寛永年間(1624〜44)に徳川家光によってその遺構を寄進されて改築されたものと伝えられ、堂内には猿をひざの上に乗せた上人像を祀っています。その他「見ざる」「言わざる」「聞かざる」「為(な)さざる」などの八猿はじめ五百以上の猿の人形が置かれているということです。
また、門前西側の地蔵堂に祀られているのが「輪形地蔵(わがたじぞう)」です。
かつて、ここ七条の東洞院から伏見に至る竹田街道では、牛車や馬車の通行を楽にするため、車輪が地面にめり込まないように車の通る場所に石を敷いていましたが、周辺の住民たちは、その石を「輪形の石」と呼んでいました。ある夜村人が、夢枕のお告げで、その輪形の石を掘り出してみたところ、立派なお地蔵様が出てきたということです。村人達は、そのお地蔵様を「輪形地蔵」と呼んで、車馬の危難を救い交通安全のご利益があるとしてこの地に祀ったと伝えられます。
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