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4月5日から13日まで、国指定重要文化財でもある京都府庁旧本館が一般公開されています。また期間中に様々な府民共同のイベントや展示催事が行われます。(当然ながら無料なのでお勧めです。)
上京区下立売通新町西入る薮之内町・京都府庁内にある京都府庁の旧本館は、釜座(かまんざ)通の正面に位置する堂々とした重厚で美しい建物です。
この旧本館のある京都府庁周辺は、近畿農政局や京都地方検察庁その他の京都府警察本部等が集まる官公庁街ですが、東には京都御苑、西には町家の残る西陣地区、北には、これも明治の赤レンガの洋風建築が建ち並ぶ同志社大学などがあり、クリームイエローの優美な旧本館も、これら地域一帯の建造物と溶け込んで京都らしい風景を作っています。
また、公開されている旧本館の庭園の中庭中央の枝垂れ桜は、初代円山公園のしだれ桜の孫に当たるもので、その他の桜と共に西洋風の建物とマッチしてたいへん美しく絵になっています。
(以下、京都府庁旧本館に掲示されている資料から転載させていただきます。)
さて、元々この地は、幕末に幕府京都守護職が置かれた所でした。
幕末に京都の警備を担当していた京都守護職は、京都市中に数ヶ所の広大な屋敷を構えていましたが、現在の府庁に当たる敷地もその一つでした。この上屋敷は、度重なる増改築を経て、慶応元年(1865)に完成しましたが、規模は現在の府庁の敷地ほぼすべてを占め、正門や敷石、玄関等はたいへん豪華なものだったと伝えられています。また、屋敷の東西、南北には、二階建ての長屋がずらりと並び、藩兵などが非常時の出動に備えて待機していました。(尚、この広大な屋敷の建設に伴って、地域にあった九つの町が全て消滅したということです。)
明治維新直後のことです・・・慶応四年(1868)閏四月二十九日、それまでの京都裁判所が名を変え、初代府事(知事)に長谷信篤(ながたにのぶあつ)を迎えて、京都府がスタートしました。
政庁(府庁)は、最初は二条城の南側にありましたが、明治二年(1869)に京都守護職上屋敷跡(現府庁敷地)に移転しました。その後、明治四年(1871)に、この敷地が新設の京都府中学校に充てられることになったため、府庁は一旦二条城の中に移転します。この京都府中学校は国学、漢学、洋学等を教え、学務局(学校の運営管理を行う機関)の役割も持っていました。そして、敷地の中央に洋風建築の正堂(学務局)を置き、その周囲に四つの教室棟と池を設けていました。
その後、明治十八年(1885)に、京都府中学校は寺町丸太町上るに移転し、京都府庁が再び現在の敷地に戻ることになりました。そして、これらの建物を約十五年間使用し、正堂を正庁に、教室棟を事務室に充てましたが、行政事務の拡大と細分化、さらに官吏の増加によって旧校舎の転用では非常に手狭で、府会の議事堂も無く新しい庁舎の必要性に迫られました。
しかし、ことは容易では有りませんでした・・明治二十七年(1894)第六代知事の渡辺千秋(わたなべちあき)が府庁の新築のために調査を開始するも、知事の交替で中断します。明治三十二年(1899)に、今度は第八代知事の内海忠勝(うつみただかつ)が、工事費四十二万年で府庁舎改築計画を府会に提案しますが、予算超過で否決されてしまいます。
ようやく、翌三十三年(1900)に第九代知事・高崎親章(たかさきちかあき)が工事費を三十三万円余に削減して府会に提案し、条件付で可決となりました。
明治三十四年(1901)四月に建築掛を府庁に設置、九月ボーリング調査を実施、十一月に地鎮祭を挙行し起工しました。設計は文部技師の久留正道(くるまさみち 1855〜1914)の指導の下,京都出身の建築家・松室重光(まつむろしげみつ 1873〜1937)が担当し、外観としては和風建築ではなく、正統派の西洋建築の意匠が求められたため、既に完成していた東京府庁舎や兵庫県庁舎を参考に、より優れた建築を目指して設計されました。
そして、翌三十五年(1902)三月に地上工事を開始。明治三十七年(1904)十二月二十日に竣工、三十八年(1905)一月九日に落成式が行われました。
工期に三年余、総事業費は当時では破格の約三十六万六千円を要して完成した建物は、煉瓦造地上で2階一部地下室付、屋根は天然スレート瓦、延床面積約六千百平方メートルで、創建当時は正庁や知事室、議場、貴賓応接室、議長室等大小五十五室で構成され、中庭には西欧風の整形式庭園として、しだれ桜を中心に中高木が植えられました。
建築の基本モチーフはルネサンス様式に属し、明治30年代の日本を代表するた西洋建築物として、大正期後半までは議事堂を一体化した府県庁舎建築の典型としてそれ以降の建物の模範とされました。また、庭園は明治から大正を代表する作庭師・七代目小川治兵衛(植治)が設計を担当、家具は当時「日本の洋家具の父」と言われた東京の杉田幸五郎が製作納入しています。
その後、昭和四十六年(1971)までは京都府庁の本館として、また、現在も議場は府政情報センター、他の部屋も人事委員会事務局等の執務室や会議室として使用されています・・・こうして創建時の姿を留めて、尚且つ現役の官公庁建物としては日本最古のものとなっています。
近年、建造後約百年が経過する中で、屋根の老朽化が進んだことから、平成九年(1997)から屋根の全面葺替工事を行い、平成十一年(1999)八月に完成しました。
以上のように、京都府庁旧本館は、明治中期の日本人建築家による本格的西洋建築の一つの到達点を示す作品でもあり、現在までその形態を損なうことなく府県庁舎の姿を留めていること、さらに後世の府県庁舎建築の模範となったという歴史的意義があることから国の重要文化財に指定されています。
さて、旧本館の中庭には、初代円山公園のしだれ桜の孫に当たるという枝垂れ桜を中心にピンクや白の花が咲き乱れています。
また、庭の一角には、三本の石の柱が置かれています。この石柱は、庭のアクセントとなる景石として持ち込まれたものと考えられていて、中央の石柱には「天正拾七年(1589)五月吉日」の文字が刻まれています。これらは明治十年(1877)の五条大橋の改修で余った橋脚が京都府庁に移されたと記録されていることから、元々豊臣秀吉が建造した五条大橋の橋脚だったと考えられています。
小川治兵衛(植治)がこのような西洋式の庭園を作庭したというのも以外でしたが、花で埋もれそうな中庭を眺めていると、桜が洋館にも似合うということを改めて感じました。
また、今回は、桜のある中庭中心で、建物内部の写真は少ししか掲載していませんが、雰囲気のある重要文化財の建物の中で、美しい桜の咲く中庭を眼下に仕事ができる府職員さん・・・レトロ好きな私としては非常に羨ましいです。
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一般公開は毎春してるのですか?
2011/7/27(水) 午後 5:19 [ いっちゃん ]
この数年は毎年やっているようです。観光客向けに大きくアピールはしていないと思いますが、毎年の桜の季節にチラシも作り、京都府庁のホームページや地元広報誌などで市民に知らせているようです。桜の頃に京都府庁のホームページでも覗いてみられるのが良いと思います。
2011/8/4(木) 午後 2:02 [ hir**i1600 ]