|
下京区綾小路通高倉西入神明町、京都の繁華街四条烏丸の東南、通り一つ入った所にある小さな神社が神明神社(しんめいじんじゃ)です。祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)で、菅原道真を祀る文子天満宮(あやこてんまんぐう)を合祀しています。
さて、神明神社は、平安時代末期に近衛天皇がしばしば行幸したと伝わる関白・藤原忠通の邸、「四条内裏、東洞院内裏」に祀られていた鎮守社と伝わります。
藤原忠通については、父の忠実、弟の頼長との勢力争いが、保元の乱の一つの原因になったことで知られます。また、非常に長期に渡って摂政関白を務めたことでも知られ、子としては、近衛家の祖・基実、九条家の祖・兼実、歴史書「愚管抄」を著した慈円らがいます。
神明神社はその後、天台宗寺院の護国山立願寺円光院によって管理され、明治時代の神仏分離令によって、寺院は廃寺となり神社だけがこの地に残ったということです。 また、社頭に榎の大木があったので「榎神明」とも言われたと伝わります。
以前にこのブログで、平安末期に源三位源頼政が怪鳥「鵺(ぬえ)」を退治した後に、血の着いた鏃を洗ったのという「鵺池」と、死んだ鵺を弔ったという「鵺大明神」(共に上京区知恵光院通丸太町下る主税町)を採り上げましたが、この神明神社も頼政と鵺に関する伝説の地です・・神明神社には社宝としてこの鵺退治に使われたと伝わる二本の「鏃(やじり)」が伝えられているのです。
「平家物語」によると、平安時代末期の近衛帝の時代(1142〜55)、毎夜、御所に「鵺」という怪鳥が出没して不気味な声を発して天皇を悩ませました。弓の名手として知られた源三位頼政は、勅命によってこの鵺退治を命じられます。頼政は神明神社に参籠して退治の成功を祈願し、見事この怪物を退治することが出来ました。頼政が射落とした怪鳥は、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尻尾は蛇という姿だったと伝わります。頼政は神明神社の御加護に感謝してこの時に使った二本の「鏃(やじり)」を奉納したということで、以来、神明神社は厄除け、火除けの神と言われるようになったということです。(また、神明神社が鵺退治の舞台、屋敷跡というも伝えもあるようです。)
謡曲「鵺」はこの鵺退治に関する物語です。
ある旅の僧が、津の国芦屋の里で一夜を明かしていると、うつほ舟(丸木舟)に乗った舟人が漕ぎ寄せて来ました。僧が舟人に尋ねると、自分は近衛天皇の時代に源頼政に討ち取られた鵺の亡霊であると答えて、その時の様子を語って姿を消し去ります。僧が読経をして供養をしていると、鵺の姿となった亡霊が再び現れ、供養に感謝して、自身を討ち取った頼政の栄光と、退治されてうつほ舟で冥土に流されていく自分の有様を語り、供養を受けながら消え去っていくという展開です。
また、明治三十年(1897)頃から豊国小学校内に祀られていた文子天満宮(洛陽二十五天満宮の一つと石標に刻まれています)の神霊を戦後合祀し、その縁で毎年九月十五日(例祭の前日)に子供神輿が区内を巡幸するようになったということです。
|