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下京区の小さな寺院を採り上げます。
京都市内を散策していると、知らない寺社などに出会って、何となく面白そう、由緒がありそうだなと写真を撮ったものの、後で調べてもわからないということも多々あります。
今回も情報の少ない観光名所とはかけ離れた史跡ですが、地元の信仰を集めてきたことが窺えます。
下京区醒ケ井通仏光寺下る東側荒神町にある小さな寺院が観音寺です。
正式には、堤境山寿福院観音寺という天台宗寺院で、本尊の十一面観音菩薩像は、開基の伝教大師最澄が自ら彫ったと伝わります。この寺院は、三宝大荒神を祀ることで知られますが、前回に書いた、上京区荒神口通寺町東入る荒神町にある清荒神(護浄院)の跡地にある寺院で「元荒神」として知られます。
清荒神(護浄院)と重複しますが・・元々奈良時代末期の光仁天皇が、皇子の開成親王が摂津国勝尾山の修業中に感得して自ら刻んだ三宝大荒神を本尊として勝尾山に創建した寺院でした。その後、勝尾山が遠くて勅旨代参が大変ということで、明徳元年(1390)、後小松天皇の勅命により、乗厳(じょうげん)律師が、洛中醒ケ井高辻(下京区)の地に勧請し、以降、「清荒神」と呼ばれるようになりました。もっとも、観音寺自体は、それ以前の平安時代からこの地にあったと伝えられています。
その後、慶長五年(1600)、皇居守護のために東南の地に遷座するようにとの勅命によって現在地に移され、「常施無畏寺(じょうせむいじ)」の号を賜りました。
移転後も、醒ヶ井の跡地では三宝大荒神への信仰が残ったようで、江戸時代初期には既にこの地域を荒神町と呼んだという記録があり、観音寺も荒神さんとして親しまれてきたようです。
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