京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

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今回は、下京区麸屋町通五条上る下鱗形町、五条通から数メートル北にある朝日神明宮(あさひしんめいぐう)・・右はビル、左はガレージに挟まれた小さな神社です。
京都のビジネス街である下京区の神社は、非常に小さいものが多いですが、調べてみると、昔は大きな敷地を持っていたというものがほとんどです。時代の推移と共に縮小してしまったのが残念ですが、歴史の荒波の中で消滅した社寺も多い中で、小さいなりにもよくぞ今日まで生き残ってきたということでしょうか。京都市の立て札等で由緒が記されている社寺はせめて、一つひとつ採り上げたいとも思っています。


朝日神明宮の祭神は、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、倭姫命(やまとひめのみこと)です。

社伝によれば、平安時代の貞観年間(858〜876)、丹波国桑田郡穴生村(現・亀岡市)に造営され、その後、室町時代末期の元亀三年(1572)に現在地に遷座したと伝えられ、かつては、南北は五条通から松原通(約300m)、東西は河原町通から富小路通(約200m)に到る広大な森に囲まれた社域を有し、「幸神の森(さいのかみのもり)」と呼ばれていたということです。

また、当時は末社として、竈(かまど)神社、稲荷社、祓川(はらいかわ)社、恒情(こうじょう)神社、人丸(ひとまろ)社、飛梅(とびうめ)天神、八幡春日(はちまんかすが)社、猿田彦(さるたひこ)社の八社がありましたが、天明の大火(1788)と元治元年の禁門の変の兵火(1864)によってその大半が焼失し、現在は猿田彦社(幸神社)ただ一社だけが残り、神石二個を安置しています。
江戸中期以降、明治維新まで増穂氏が、代々朝日神明社の神主を務め、中でも増穂残口(ますほざんこう 1655〜1742)は京都をはじめ各地で国学を教え、古事記や日本書紀等を研究して通俗的神道講釈を試みた人物で、その著作は後の尊王攘夷運動などにも影響を与えました。

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