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下京区烏丸仏光寺下る東側大政所町にある大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)は、祇園祭の草創期から祇園社(八坂神社)の祭神の御旅所(神社の祭礼の際、本宮から出た神輿を迎えて仮に奉安する場所、仮宮)となっていた場所です。桃山時代に、現在の四条寺町の御旅所が出来た後は、八坂大神を祀る小社として今日に至ります。
「日本三大祭」、「京都三大祭」の一つとして知られる祇園祭は、平安時代の貞観十一年(869)、都に蔓延した疫病退散を祈って、当時の国である五畿七道六十六ヶ国に因んだ六十六の矛(鉾)を神泉苑に立て、牛頭天王(ごずてんのう=素戔嗚尊(すさのおのみこと))を祀った「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」に始まるといわれています。
当初は、疫病が流行した時だけ行われていましたが、円融天皇の天禄元年(970)からは毎年六月に行われるようになり、現在まで千年余にわたって各山鉾町の人々によって受け継がれてきています。
祇園祭といえば七月十七日に行われる山鉾巡行が有名ですが、実際は七月の一ヶ月に渡り様々な神事・行事が行われます。確かに山鉾巡行は祇園祭のハイライトですが、最も重要な神事は、神霊を乗せた神輿を御旅所に迎え入れる「神幸祭(しんこうさい)」と、再び神霊を本社に送る「還幸祭(かんこうさい)」になります・・これは全国の他の祭でも同様ですね。
現在の八坂神社の御旅所は、四条寺町の四条通南側にありますが、これは天正十九(1591)豊臣秀吉の命により移されもので、それ以前は、少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ 冷泉東洞院)と、大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ 高辻烏丸=現下京区烏丸高辻上る大政所町)の2カ所にあり、祭の際には、三基の神輿はこの両御旅所に分かれて迎えていました・・・
少将井御旅所(井戸があったと伝えられます)には、現在の東御座(櫛稲田姫命 くしいなだひめのみこと=婆利女(はりめ))が渡御し、大政所御旅所には、現在の中御座(素戔嗚尊 すさのおのみこと=牛頭天王)」と西御座(八柱御子神 ヤハシラノミコガミ=八王子)が渡御していました。
この内、少将井御旅所は、現在では町名(中京区烏丸通竹屋町下る少将井御旅町)を残すだけになっていて、大政所御旅所には旧地を示す小社が建っています。
さて、今回はこの大政所御旅所です。
祇園祭創生の頃、円融天皇の天延二年(974)、高辻東洞院に住む秦助正(はたのすけまさ)という人物が、夢の中で八坂大神の神幸を見て、さらに自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いている光景を見たことから、不思議に思って朝廷にこのことを奏上した結果、祇園社祭神の神託により助正の家が御旅所となり、その後大政所といわれるようになったということです。
以来御旅所として毎年用いられましたが、室町時代末期の天文五年(1536)に戦国の騒乱のため焼失したということです。その後、天正十九年(1591)に、豊臣秀吉の命により四条寺町に御旅所が移された後、町内の人々が旧地に小祠を建てて、八坂大神を祀って大政所町の鎮守社としました。尚、現在も、祇園祭の還幸祭では、大政所御旅所に三基の神輿が立ち寄って、神職がその前に玉串を奉納します。
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