京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

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下京区高辻通西洞院西入る北側永養寺町の一角には、「道元禅師示寂の地(どうげんぜんじじじゃくのち)」という石碑が建てられています。
この石碑は、この地で曹洞宗開祖・道元禅師(1200〜53)が亡くなったことを示しています。


道元禅師は、正治二年(1200)に京都で生まれました。
通説では、父は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、政界を牛耳った辣腕政治家、内大臣・土御門通親(源通親 久我通親)といわれます。三歳で父を、八歳で母を失い、十三歳で比叡山に登って翌年に出家。その後、建保五年(1217)、京都建仁寺で栄西禅師の高弟・明全禅師に師事します。貞応二年(1223)に明全と共に入宋し、天童如浄禅師から曹洞宗を学び法嗣の認可を受けて、安貞二年(1228)に帰国。天福元年(1233)、京都深草に日本初の曹洞宗寺院として興聖寺(こうしょうじ 後、宇治に移転)を開きました。寛元二年(1244)、越前(福井県)に大仏寺を建立し、同四年(1246)に永平寺と改めました。尚、道元禅師が生涯をかけて著した大著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は、最も難解で深遠な日本最大の哲学書ともいわれます。


さて、建長四年(1252)から病気の身となった道元禅師は、翌五年(1253)、に、病気療養のために、弟子の孤雲懐奘(こうんえじょう 道光普照国師 1198〜1280 永平寺第二世)禅師に永平寺住職を譲って上洛し、高辻西洞院の俗弟子覚念の屋敷に滞在しました。
そして、建長五年(1253)八月二十八日夜半、五十四歳で亡くなりました。遺体は、弟子等によって、東山赤築地(東山区鷲尾町)に運ばれて荼毘に付されました。(東山区鷲尾町には「道元禅師荼毘御遺跡塔」が建立されています。尚、墓は永平寺にあります。)

さて、道元禅師の終焉の地には、昭和十三年(1938)に、京都史蹟会によって「道元禅師遺蹟之地(どうげんぜんじいせきのち)」という石標が建てられ、その後、昭和五十五年(1980)に、永平寺二祖・孤雲懐奘(道光普照国師)禅師の七百回忌を記念して、「道元禅師示寂聖地」という石碑が建立されました。




(尚、最後の写真2枚は、道元禅師示寂の地のすぐ横の露地の奥に祀られている由緒不明の小さな稲荷神社です・・こんな神社の写真を撮るのは私だけでしょうね。)

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はじめまして。
千葉県在住のゆきたんくと申します。
昨年の冬に京都旅行をしまして、道元様の石碑もしっかりと写真に収めました。しかしながら、奥のほうの神社には気づきませんでした。私はこのような小さな神社にも興味がありますので、この次には訪れてみようと思います。また、参ります。
http://blog.goo.ne.jp/yukitank

2008/5/25(日) 午後 8:54 [ yuk*ta*k20*1 ]

ご指摘ありがとうございます。修正しておきます。

2008/10/24(金) 午前 3:39 [ hir**i1600 ]

ゆきたんくさん、お返事が遅くなりましてすみません。
多分、この社に関する情報はネットでも皆無だと思います。京都の街中には、地元の人が静かに祀る社やそれに類したものが、まだまだ有るのでしょう。

2008/10/24(金) 午前 3:44 [ hir**i1600 ]


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