京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

上京区堀川通下立売上がる東側にある「伊藤仁斎宅(古義堂)跡並びに書庫」は、江戸時代の儒学者・伊藤仁斎(いとうじんさい)が自宅に開いた私塾「古義堂」跡で、仁斎時代の土蔵造の書庫が現在まで保存されていることから、国の史跡に指定されています。(かなり前に少し採り上げましたが、改めて書いてみます。)


さて、京都には数多くの史跡がありますが、今では街角に石標が立っているのみといった場所が多いのが残念です。このブログでは、基本的に記念碑等が建てられ整備されている場所のみを採り上げていますが、今回の「伊藤仁斎宅(古義堂)跡並びに書庫」は、非公開ではありますが、京都では、「荷田春満旧宅」、「頼山陽書斎(山紫水明処)」、「岩倉具視幽棲旧宅」と並ぶ数少ない国の史跡に指定されている古住宅になります。



伊藤仁斎(1627〜1705)は、寛永四年(1627)、上京区堀川通下立売上る、現在の古義堂のある場所に生まれました。父の了室は学門に熱心で、母は連歌師として有名な里村紹巴(さとむらしょうは)の孫という文化的な家系でした。仁斎は若くして朱子学を学びましたが、後にこれに批判的となり、孔子や孟子の本来の思想に戻るべきと考えて、孔・孟の原典に直接学ぶという古義学派(堀川学派)を創始しました。
寛文二年(1662)に自宅に私塾・古義堂を開き、宝永ニ年(1705)に七十九才で亡くなるまで、多くの公家や武家・町人にわたる門弟を教導し、その門下生は長男東涯(とうがい)をはじめ三千人を数えたといいます。古義堂は、仁斎の死後は東涯に継承され、その地に因んで堀川学派と呼ばれる京都を代表する一大学派となっていきました。そして、代々の伊藤家は永く学派を伝え、明治三十九年(1906)に至るまで実に244年に及びました。近世の有名な学塾で、このように一つの家によって運営継承されたことは極めて稀だということです。



さて、古義堂は、天明八年(1788)の天明の大火をはじめ、何度も火災に遭いました。
現在の建物は、明治二十三年(1890)に遺構をもとに再建したものですが、2階建て土蔵造の書庫は、仁斎が使用していたままの建物で、国の史跡に指定されています。尚、仁斎以降の歴代の当主が遺した著作や蔵書古義堂の蔵書、書画など約五千五百点、一万冊は、昭和十六(1941)〜二十年(1945)に天理大学附属天理図書館に移譲され、古義堂文庫として特別文庫の中に所蔵、公開されています。
古義堂では、京都市指定保存樹のクロマツ(高さ7.2m、枝張10m、幹周13.1m)が白い土蔵を彩っていて良い雰囲気です。

「西陣・北野天満宮他」書庫の記事一覧


.
hir**i1600
hir**i1600
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事