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中京区役所のホームページに小さなお地蔵さんが紹介されています・・中京区の壬生にお住みの方しか知らないようなマイナーな史跡ですが、区役所の情報を引用して書いてみます。
阪急電鉄西院駅のある西大路四条の東北、中京区壬生淵田町の京福電鉄嵐山線の線路傍に、小さな石のお地蔵さんが祀られています。これらの石仏は、明治時代の後期に、周辺の宅地開発に伴って「御土居(おどい)」の一部から発掘された石仏十四体と伝わります。
豊臣秀吉が洛中を囲むように造った土塁「御土居(おどい)」については、京都市内に十箇所程度残っていて、多くは国史跡に指定されています。
これまでも一部をブログに採り上げていますが、今回の壬生の地も、御土居が洛中と洛外を分けていた分岐点でした。現在、京福西院駅の南の「西土居ノ内町」、「土居ノ内町」、「東土居ノ内町」という町名は、御土居の内側(洛中)だったことに由来し、南北に走る西土居通(にしのどいどおり)も御土居に関連する通り名です。そして、明治時代には、まだ田畑の中に御土居が残っていましたが、その後の宅地開発で、この地の御土居は消失しました。
さて、壬生淵田町のお堂に祀られている石仏群は、大日如来石仏といわれ、「大日さん」と親しまれているようです。どの石仏も白粉(おしろい)に紅を差し、可愛い化粧が施されています。そして、中には一体に二面の顔を刻んだものもあるということです。
これらの石仏群は、以前にブログに採り上げました高山寺(右京区西院高山寺町)との関係も考えられているようです。高山寺は、今回の石仏群の祀られている壬生淵田町のすぐ西に位置していて、平安時代の淳和院の跡地に建つ寺院として知られます。
高山寺の本堂には、子安地蔵と呼ばれる地蔵菩薩像を安置していて、室町時代には洛陽の六地蔵の一つとして人々の信仰を集めました。
また、江戸時代には高山寺のある西院(当時は「さい」と読んだため)=「賽(さい)」として、「西院(さい)・(賽(さい))の河原」といわれ、地蔵信仰を詠った「賽の河原地蔵和讃」の舞台として信仰を集めました。(賽の河原で、多くの子どもたちの霊が、親を偲んで河原の石を積んでいると、地獄の鬼がやってきて積んだ石を崩してしまいます。すると地蔵様が現れて、子ども達を救ったという伝説で、この高山寺の子安地蔵がその地蔵様として信仰されたということです。)
壬生淵田町の石仏群も、この地の地蔵信仰と関係していたと考えられています。
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