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右京区山ノ内荒木町、京福電鉄嵐山線に最近出来た新駅・嵐電天神川駅の傍、三条通が天神川と交差する付近にあるのが、猿田彦神社です。
古図によれば、昔は三条通側に鳥居があったということですが、現在は三条通にほぼ平行して鳥居があり、境内は、区民の誇りの木に選ばれているクスノキの大木等の木々に囲まれています。普通の小さな神社ですが、観光地嵐山に至る京福電鉄の沿線にあることもあって、京福電鉄では、嵐電天神川駅周辺の小さな観光スポットの一つとして採り上げているようです。
猿田彦神社は、社伝によると、古くから「山ノ内庚申(やまのうちこうしん)」と呼ばれ、「八坂の庚申堂」、「粟田口庚申堂」と並んで「京洛三庚申」の一つに数えられた洛西の古社ということです。
祭神の猿田彦大神(さるたひこおおかみ)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、葦原中国(あしはらなかつくに=日本国土)を治めるために高天原から日向国・高千穂峰に降った・・いわゆる天孫降臨の時に、その道案内をしたという故事から、また、中国伝来の「道祖神(どうそしん)」と同一視されるようになり、道ひらきの神、人生の道案内の神として信仰され、開運除災や除病招福のご利益があるとされています。社伝によると、平安時代初期に伝教大師最澄が、座禅をするための霊窟を探していたところ、猿田彦神が現れてこの地を示したので、座禅石の横に猿田彦神を祀ったことが創祀とされます。
猿田彦神社は、「山ノ内庚申(やまのうちこうしん)」と呼ばれように、京都の神道系庚申信仰の本拠地の一つだったようです。
庚申信仰は、元々中国の道教の教えから来た信仰で、仏教、神道、修験道等の様々な信仰と結びついて全国に広まりました。元々特定の本尊の無い庚申信仰は、神仏混交の影響から、日吉山王信仰(日吉大社の祭神「大山咋神(おおやまくいのかみ)」は、神社が天台宗延暦寺の鎮守社となったことで、山王信仰へと発展しました)と結びついて山王権現、また仏教系では青面金剛、神道系では猿田彦神を祀ることが多かったようです。
この「庚申」とは、干支の「庚(かのえ)申(さる)」の日を意味し、十干十二支のこの日の夜に、人の体中にいる三尸の虫が、寝ている間に抜け出して、寿命を司る神である天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行くといわれ、天帝は罰としてその人間の寿命を縮めると考えられていました。そして、これを防ぐために、庚申日の夜は寝ないで徹夜するという「庚申祭」という風習があり、時代により「守庚申(しゅこうしん)」、「庚申待(こうしんまち)」等とも呼ばれています。
この風習は、平安時代初期頃より中国より伝来して貴族の間に、さらに仏教と結び付いてからは広く諸国に広まり、鎌倉から室町時代には武家に、さらに江戸時代には広く庶民の間でも信仰されました。特に、江戸時代には、村落全体で酒盛りをして一夜を明かすという寄り合い組織「庚申講(こうしんこう)」が全国で作られていました。猿田彦神社の由緒書にも、庚申講の際は、村人が集まって猿田彦大神や青面金剛の軸を掛け、七種の供物を捧げ夜を明かして萬福招来を祈願したと記していて、現在も六十日に一回の庚申日に祭事を行い、新年初めの庚申日の付近の人々の参詣は後が絶えないということです。
また、仏教系神道系に関係なく庚申信仰のシンボルと知られるのが猿です。
その由来は「庚申」の「申(さる)」=「猿」から来ているとも、山王信仰の神使である猿が採り入れられたとも、また三尸の虫に告げられないために「見ざる(猿)、言わざる(猿)、聞かざる(猿)」が阻止するという意味である等と諸説ありますが、この三神猿は、世の諸悪を排除して開運招福をもたらすとして庚申信仰の地では必ずどこかに描かれているようで、猿田彦神社でも本殿前に目立たない小さな像があります。
社殿は、元々安井村松本領にあって、境内には山伏修験者の行場があり、愛宕山に参詣する人々は、境内の滝に打たれ身を清めてから参詣したということです。明治十八年(1885)、現在の三条通の南側に遷座しましたが、今も境内には行場の名残をとどめる大小無数の石が境内北側に存在し、南側には不動明王、観音菩薩、大日如来、役行者等の石仏が祀られています。(昭和五十五年(1980)、この年が六十年毎の庚申の年に当るため、神殿を修復したところ、礎石に用いられていた道標に「あたごへ二里半」の文字が刻まれていることが確認されました。)また、明治大正時代には庚申灯篭が数多く奉献されていたということで、現在では御縁日の庚申日に祭礼が行われていて、特に初庚申のお祭りには火焚神事が斎行され、参詣客で賑わうということです。
また、境内末社として、大国主命を祭神とする大国主社、火伏の神・秋葉明神を祭神とする秋葉社、稲荷大神を祭神とする稲荷社があります。
社宝として、この地の庚申講に用いられてきた御軸「御幣猿立像(伊勢市猿田彦神社に伝来。宇治土公定津神主筆・天保十二十二年六月吉日 利兵衛箱書)」と「庚申清(青)面金剛御姿絵図(当村永代講中 箱書)」、また山口玲熈画の神猿図(大正二年二月八日 初庚申の節に奉納)があり、また鳥居に掲げられた社額は、宇治土公定津神主の筆によるものです。
また、授与品としては、中風・神経痛・腰痛などの病気封じの「こんにゃく(氏名・年齢を書いて祈祷後に神棚に祀って願をかけます。また、昔は就寝の枕上に吊るしたということです。)」、盗難除けの左縒りの連縄「左なわ(持山)(玄関・勝手口・戸窓・金庫などに吊るします)」、手芸の上達を招くという「招福布猿(くくり猿)財布や腰に付けて除難招福を祈る)」、家内安全・商売繁昌・交通安全・開運厄除けの「祈願絵馬」や「御守り」、清め砂などがあります。(尚、庚申以外の日は、御守授与は、嵐電「山之内」北側の山王神社で行っているようです。)
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