京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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阪急電鉄桂駅の南方約三百メートル、三宮神社や川島春日神社の南に位置する冷聲院(れいしょういん)は、山号を知足山という浄土宗寺院です。(京都市西京区川島玉頭町)
このお寺は、大正時代から戦前まで小学校の修身(道徳)の教科書にも採り上げられ、親孝行の鏡として讃えられた孝子儀兵衛の菩提寺として知られています。


寺の駒札によると、冷聲院は、前回に登場した革島春日神社と同じく革島家ゆかりの寺院です。
この地を代々領主として治めていた革島家の十八代、越前守一宣(かずのぶ)は、秀誉生西(しゅうよしょうさい)上人に帰依していましたが、一宣の意を汲んだ子の秀存(ひでただ)が秀誉上人を開山に請うじて享禄元年(1528)年に創建したということです。
本堂は、昭和二年(1927)二月の失火により焼失しましたが、昭和四十一年(1966)十月に再建して境内を整備し現在に至ります。境内には他に地蔵堂や鐘楼、墓地がありますが、特に、親孝行で有名な儀兵衛や明治維新期にこの辺りに住んだ郷士、山口直(やまぐちなおし)の墓があることで知られます。


さて、儀兵衛(1727〜79)は、江戸時代中期の享保九年(1724)五月、京都の四条堀川の紙屋市兵衛の子として生まれ、生後直ぐに川島村の貧農、半右衞門の養子に出されました。
その後、十才で養父が亡くなると生活はいっそう厳しくなりました。以後、三十九年の間、体の弱い養母を支えて極貧の家庭の家計をよく助けました。

儀兵衛は、農業の他にも僅かの賃金を得るために懸命に仕事を選ばず働きましたが、毎日の食事にも困る状態でした。しかし、体の弱い母には好きなものを食べさせ、母には内緒で自分は我慢して何も口にしないことも度々でした。老いた母の着替え等身の回りのことも儀兵衛が助け孝行を尽くしました。
ある時、極貧生活を哀れんだ人から、養子であることを初めて知らされ、実の親元に行って世話を受ければどうかと言われますが、「これまで、実の子でない私を大切に育ててくれた御恩は本当に有り難く感謝でいっぱいです」といっそう母に尽くしました。

儀兵衛の孝行ぶりは当時から知られていましたが、晩年の明和七年(1770)に、石門心学(江戸中期の石田梅岩を開祖とする倫理学)の布施松翁(ふせしょうおう)が、『西岡孝子儀兵衛行状聞書』を記して広く知られるようになり、時の天皇の耳にも達して鷹司家より褒美を頂戴し、高名な儒学者・中井竹山、中井履軒、三浦梅園、加藤竹里、頼春水等の知遇を得て、その孝名は世に広まりました。
そして、儀兵衛は、八十五歳で大往生を遂げた養母の死から七年後の安永八年(1779)十月五日、五十六歳で亡くなりました。
その後、大正七年(1918)には尋常小学校の修身教科書に取上げられ、以来、戦前まで親孝行の模範として有名な存在でした。

境内には「忠誠貫於金石 孝弟通於神明」と刻まれた東郷平八郎筆の顕彰碑もあり、毎年命日(十月五日)には、儀兵衛の徳を讃える「孝子祭」が営まれています。
また、冷聲院の周囲には、冷聲院への参道を示す孝子儀兵衛翁墓参道碑(川島玉頭町)や儀兵衛の住居跡を示す石標(川島粟田町)、もあります。
戦後は忘れられつつある儀兵衛ですが、その親への愛と慈しみ、感謝の心は、現在でも模範となるものかもしれません。




さて、儀兵衛の墓の右側に、勤皇志士と記された墓があります・・これが、山口直(やまぐちなおし)の墓です。

山口直(1815〜73)は、山口薫次郎ともいい、この川島村の仙洞御所御領の裕福な庄屋に生まれ、西の岡の郷士とも呼ばれていました。
二十二歳で庄屋を継ぎますが、学問好きで幼少より春日潜庵に学び、森田節斎を通じて勤皇派の小浜の梅田雲浜を知り、また、水戸の鵜飼吉左衛門、京都の頼三樹三郎、長州の吉田松陰、高杉晋作ら各地の勤王の志士と深く交わり尊皇攘夷論に熱中し、親族の小泉仁左衛門と共にともに長州藩への物資援助を行いました。
禁門の変後は長州に逃れ、慶応四年(1868)の明治維新で、長州から川島村に帰りましたが、既に妻は無く亡くなっていて、田畑山林も失って一族は離散し、止む無く東京に寄宿し明治六年(1873)十月に五十八才で亡くなりました・・

どこか、幕末に長州藩を援助した商人の、有名な白石正一郎や福田理兵衛等を思い出させる話ですが、彼らは家産を傾け自身は没落してまで、明治維新の実現に貢献しました。ほとんど無名に近い庄屋出身の山口直も、時代に翻弄され没落して寂しい晩年を送りましたが、精一杯生きたといえるのかもしれません。

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全く知りませんでした。
二宮尊徳が戦後とって代わったのでしょうか。傑作

2010/4/27(火) 午後 6:40 あるく

有名な英雄や偉人が出てこない歴史には関心が無い人は多いと思いますが、親孝行だけで歴史に名を残した貧民というのも、かなり凄いことかもしれませんね。親子の絆が失われ、家庭内暴力も多い現代、少しアレンジして絵本にして、今一度親と子の関係のお手本にしてもいいかもしれませんね。

2010/4/27(火) 午後 7:05 [ hir**i1600 ]


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