京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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京都市北区の大徳寺の周辺の紫野(むらさきの)や北西の紫竹(しちく)は、源義経やその母・常盤御前ゆかりの史跡が多いことで知られる地域です。これは、平安時代末期に源氏の棟梁・源義朝の別邸がこの地にあり、常盤御前が住んでいたという伝承によります。

これまで、ブログに、「牛若丸誕生井」&「胞衣(えな)塚」(共に京都市北区紫竹牛若町)、「源義経産湯ノ遺址」(京都市北区紫竹牛若町)、常盤御前の守り本尊と伝わる「腹帯地蔵」を祀る「光念寺」(京都市北区紫野上野町)」、常盤御前が牛若丸の安産祈願をしたと伝わる「常盤地蔵」を安置する「常徳寺」(京都市北区紫竹東栗栖町)といった史跡を掲載してきましたが、今回は、大徳寺の南側にある義経ゆかりの小さな史跡です。


市バスの大徳寺前停留所で下車し、そのまま南へ進むと、雲林院(ブログ掲載)を過ぎた先に(北大路通から三筋目)右手(西)に、少しカーブした建勲北中通りという小さな通りがあります。この建勲北中通りが大きくカーブする直前の右手の民家の前にあるのが、「常槃井」です。(京都市北区紫野下築山町)
「常槃井」は、「常盤化粧井」とも呼ばれ、常盤御前が化粧に用いた井戸といわれています。現在は、井戸は涸れていますが、「常槃井」と記した石碑の文字が僅かに読めます。


また、「常槃井」の横から民家の間の細い路地を入っていくと、瓦礫が積み上げられた丸い塚があります・・これが、「衣掛塚(ころもかけづか)」です。
常盤御前の着物が掛けられたという伝承から「衣掛塚」また「鏡塚」とも呼ばれますが、現在、周囲は廃材置き場のような少し不気味な雰囲気で、「築山之墓地」と刻まれた石標や五輪塔の残欠と思われる石が無造作に置かれています。

さて、江戸時代の文化年間(1804〜17)に行われた天皇陵調査では、この塚は、後朱雀天皇・堀河天皇・二条天皇の三人の天皇陵の内の一つではないかと考えられていましたが、どの天皇陵とするかは決定できなかったようです。この時の調査をまとめた『文化山陵図』にもこの塚は描かれていて、当時、塚は田畑の中にあって、盛り上がった墳丘の周りには水のある溝があったことがわかります。現在の無残な姿からは想像できませんが、江戸時代には、遠くからも目立ち、天皇陵の候補になりうるそれなりの雰囲気があったのでしょう。

そして、その後、何度か行われた天皇陵調査では、この塚は候補にも挙げられずに忘れ去られていったようです。天皇陵はともかく、歴史ある塚の遺構であることは確かで、この地は、平安時代の葬送地として知られる蓮台野に当ることから、当時の貴重な遺構の可能性もあるということです。

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