京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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さて、続きです。

軍事評論家リデル・ハートは「戦略論」の中で、「アレクサンドロスの将軍たちは、ナポレオンの元帥たちよりも有能だった」と書いています。
彼らは、後継者争いを経て、その後に自身の王朝を建設する者がいるようにカリスマ性のある人物が多かったようにも思います。


アレクサンドロスは征服後余りに直ぐ死んだため、実際はほとんど何も生み出さず何も残しませんでした。彼の築いた帝国はたちまち解体してしまいます。アレクサンドロスが生み出したと言われているヘレニズム文明は、実際は彼の後継者達が王朝を建設していく過程で生まれ広まっていきます。そういう意味でも再評価されるべき人物たちですね。



さて、アレクサンドロスの遠征中の武将達としては、まず父王フィリポス以来の重臣アンティパトロスとパルメニオンは有名です。またペルシア征服後以降はヘファイスティオンとクラテロスが副将格になりました。


老将パルメニオンは常に副司令官として遠征に従い、アレクサンドロスと独立した軍を分割指揮していました。また全騎兵総指揮官はフィロタス(ピロタス)で、パルマニオンの長男でした。
その他に活躍しているのは、ペルディッカス、メレアグロス、クラテロス、コイノスらは、グラニコス河、イッソス、ガウガメラの各戦場で常に歩兵指揮官として戦っています。
(他にはポリュペルコン、アミュンタス、フィリポス、シンミアス、プトレマイオス=後の1世ソテルとは別人)


パルメニオンは、有能な将軍で遠征には不可欠の存在でしたが、ペルシアを征服した直後に、長男フィロタス(ピロタス)陰謀事件に関与したとして殺害されます。この点は前に極めて詳細に書いたのでここでは簡単に・・。



遠征初期のグラニコス河の戦いから、ペルセポリスを占領しアケメネス朝ペルシア滅亡させるまでのマケドニア軍では、フィリポス時代からの重臣で副司令官パルメニオンと、彼の長男の全ヘロイタイ騎兵総指揮官フィロタスの存在が大きかったのですが、アレクサンドロスが彼らを殺害する事で新体制が生まれます。



アレクサンドロスの遠征は、当初の目的であるペルシア帝国を征服した後に関しては、方針が何も決められていませんでした。多くの者がこれで目的が達成されたと祖国への帰還を望んでいたのでしょう。
アレクサンドロスはさらに自身の野望を実現しようと、アジア、インドへの遠征を考えますが、父王以来の重臣で権威あるパルメニオンの存在が邪魔になってきたようです。自分の子飼いの者たちによる新体制を築こうと考えたのでした。



さて、新体制は、パルメニオンらを罠にかけ殺害したメンバーたち、王の友人ヘパイスティオン、クラテロス、コイノス、早くからの大王の側近のペルディッカス、レオンナトスらが中心となりました。中央アジアからインドに至る遠征は、これらアレクサンドロスと新体制のメンバーの指揮により行われました
このようにアレクサンドロスの遠征は、ペルシア征服までと、その後の遠征では質的な変化があるとも考えられています。



アレクサンドロスの側近らの中で最も重んじられたのは、ヘファイスティオンです。
彼はアレクサンドロスの寵愛を受け、王より早く死去しますが、晩年には、ヘロイタイ騎兵隊総指揮官で、さらにキリアルケスというアケメネス朝の最高官職を復活採用され、事実上の副王格にまで上り詰めます。しかし特に軍内部に支持が高かったわけではなく、軍事能力が目覚しかったとは考えられていません。
もう一人、クラテロスは、後期の遠征では別軍を指揮して最も活躍する武将です。また他の将からの人望も厚く、王の死後は新王の後見人になるなど重んじられています。

他にはグラニコス河で王の命を救った、(黒い)クレイトスという武将が、パルメニオン体制崩壊後にヘタイロイ騎兵の指揮官としてヘファイスティオンと並んで重んじられますが、その後、酒の席で酔ったアレクサンドロスにより殺害されたエピソードで有名です。



遠征後のアレクサンドロスの武将達の評価は、前324年のスサの論功行賞によりわかります。
この時功績第1位はペウケスタス、2位はレオンナトス、3位はネアルコスでした。
(尚、功績第1位のペウケスタスはペルシス太守に任じられ、服装、言語をペルシ習俗に自ら進んで馴染もうとする統治姿勢は住民からも大きな好感を持たれていた人物です。後継者戦争では、エウメネスに属して戦っています。)ペウケスタスやレオンナトスは、325年マッロイ人の町(ムルターン説他)で、敵に包囲されたアレクサンドロスを救った功績かもしれません。ネアルコスは海軍を指揮して活躍していますね。


遠征中の本国マケドニアの統治を委ねられていたアンティパトロスに関しても少し・・。
彼は王の遠征中、マケドニアの王国摂政・代理統治に任じられていましたが、324年には王母オリュンピアスとの対立危機のため、解任されバビュロンに召還されました。
アンティパトロスはこの時王と対立していたようで、今でもアレクサンドロス暗殺の最重要容疑者の一人です。


さて、アンティパトロスは、323年アレクサンドロスの死に乗じ、王の元側近で5万の傭兵を率いてペロポネソスに戻っていたレオステネスを中心としたギリシア同盟諸国が、アテネで反マケドニア戦争起こす危機に遭います。ラミア戦争です。


一時は、ギリシア同盟軍はアンティパトロスをラミアに包囲します。同僚のレオンナトスが救援のため来援するも包囲中に戦死しますが、なんとかアンティパトロスはラミアから脱出することに成功。
その後、アンティパトロスから援助要請を受けたクラテロスと艦隊司令官(白い)クレイトスが、アテネ艦隊を破り、ヘレスポントスを渡ることに成功しアンティゴノスと合流することに成功。ここでアンティゴノスとクラテロスは、ようやくギリシア連合軍(アテナイのアンティフィロス、テッサリアのメノン指揮)を破り、ラミア戦争を終結させます。



いつも通りに長くなりました。



アレクサンドロス死後の、所謂ディアドコイ(後継者)戦争に関してです。
この長期間の断続的な戦いの中で、アレクサンドロス死後の権力を争うライバル達双方は、有効性が実証済みのマケドニア流のアレクサンドロスと同様の戦術で戦いました。またアジアから多くの戦象が連れてこられ決戦兵器として投入されたため、戦いはより過酷なものになったと思われます。


次回はこの戦争の簡単な流れ他。

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