京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

上賀茂歩きも、吉田山散歩も途中ですが、少し気分を変えて、別の史跡です。


先日、嵯峨野の清涼寺を訪問した際、源融(みなもとのとおる)の墓といわれる宝篋印塔を見ました。
平安時代初期の嵯峨天皇の子で、百人一首でも知られる歌人、河原左大臣とも呼ばれた人物です。彼のお墓が清涼寺にあるのは、この辺りが彼の別邸だったからです。
源融は、美男子として有名で、源氏物語の主人公光源氏のモデルとも言われています。
(そのためか、清涼寺の源融のお墓の隣には「恋の木」という光源氏の恋愛パワーが我々の恋を成就させてくれるという木があります。)


光源氏か・・そういえば、どこかに紫式部の墓もあったはずと思い出しました。
学生時代の史跡探訪サークルで行ったことがあったような・・。そこで、すぐに探しに行きました。



お墓の場所は、有名な大徳寺から北大路通を東へ約500メートルの北大路堀川の交差点付近。
広い堀川通の西側を南へ50メートル程歩き出すと、一見見過ごしてしまいそうな小道の入り口が有り、紫式部と小野篁(おののたかむら)の墓所という石碑が有ります。
知らない人は、気付かない程度のささやかな場所です。


この小道に入っていくと、四角いスペーズに2つのお墓が並んで有ります。
この辺りは、平安時代から、蓮台野(れんだいの)と呼ばれる墓地が有った地域でした。
紫式部も、小野篁(小野妹子の子孫で、小野小町の祖父ともいわれる歌人として有名ですね)もこの辺りにお墓があったのは確かなようです。
現在のお墓に、本当に2人が葬られているのかはわかりませんが、14世紀の『河海抄』という書物には、既に二人の墓と書かれているので、かなり昔から墓として伝わっているようです。



お寺内の墓地等でなくて、こんな場所にお墓が有るのも珍しいですが、交通量の多い堀川通から、10メートル程入っただけなのに、ひっそりとした雰囲気です。
小さなスペースはきれいに整備されていて、来訪者の名前を記帳するノートや、紫式部の生涯を書いた無料のプリントが置いてあります。


観光客の多い寺院を巡って来た後のためか、この小さな静かな場所を大切にしたいと思いました。

(写真は、清涼寺の源融の墓、北大路堀川にある紫式部と小野篁の墓)

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 2

さて、「社家の道」の途中、明神川が少しカーブする地点に上賀茂神社の末社の藤木社(フジノキノヤシロ、フジノキシャ)が有ります。


ご祭神は、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)という神様で、川や水源、滝などの水の女神様のようで、下鴨神社では、「糺の弁天さん」とも呼ばれているそうです。
それで明神川の守り神として、ここにお社があるのでしょう。この社の背後には、樹齢推定500年という巨大なクスノキが有ります。これも、京都市の保存樹になっています。
(写真で見ると、枝振りが少しエイリアン系の生物のような・・・迫力!)


藤木社とクスノキは、社家の道のシンボル的な存在として、景観にとけ込んでいます。
小さいですが、地域の中心で非常に目立つ存在という点で、前に登場した、祇園新橋の辰巳大明神に少し似ているような感じ。

社家の道

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

下賀茂神社付近の続きです。
この辺りは、京都の伝統建造物保存地域に指定されています。


文化庁が、京都の伝統建造物保存地域に指定しているのは、4ヶ所です。

1,産寧坂伝統的建造物群(清水寺、高台寺、八坂神社などの社寺を巡る道沿いに築かれた町並みで、店舗や住宅が混在し、石段や石畳などが京都らしさを伝える。)

2,祇園新橋伝統的建造物群(祇園の茶屋町として発展した大きな町家が通りに面して軒を並べて建つ。二階軒先にすだれを下げた独特の景観で、白川のせせらぎが豊かさを加えている。)

3,嵯峨鳥居本伝統的建造物群(鳥居本は京都市街地の北西にあり、和歌や物語に詠まれた嵯峨野の最も奥に位置し、往時の嵯峨野らしさをよく残す。農家風と町家風の住居が混在して建ち、背後の緑に白壁と茅屋根が浮かび上がる。)




そして、もうひとつが、上賀茂伝統的建造物群、つまり「社家の集落」です。
登録理由は、「上賀茂神社東側に築かれた室町時代からの門前集落。道路脇を流れる明神川に沿って、神官の屋敷である社家が建ち並ぶ。主屋とこれを囲む門、土塀、庭園が静寂な環境を造る。」ということです。



上賀茂神社から東へ向かうと、小さな水路=明神川に沿って、古い土塀の門構えの家が並んでいます。
ここが、社家の集落で、 一般に「社家の道」と呼ばれています。


社家とは世襲神職の家柄のことで、昔から神社の神職の家が並んでいた地域ということです。
家の門毎に、橋が掛かっていて、家の前を流れる明神川から水を庭に引き入れ、曲水の宴のための小川や池などを作っていたそうです。
この川を溯ると、上賀茂神社の境内を流れる「楢(なら)の小川」になるわけで、そういう大切な水を庭内に取り込むということも、神に仕える神主としては重要な事だったのかもとか想像しました。
社家は、現在では30件ほどしか残っていないそうですが、お土産を売っている家や門構えだけの家も有る状態です。特に古い面影を残している、西村家別邸は曲水の庭と町屋が見学できます。

全1ページ

[1]


.
hir**i1600
hir**i1600
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事