京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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法然院

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今回は京都市左京区鹿ヶ谷の法然院です。


法然院は、私の母親の実家近くで、子供の頃から数え切れない程来ているお寺です。
以前に少しだけ書いた事がありますが、この10月末に寄ってみました。
(現在、11月から、秋の特別公開で、本堂と奥の庭園が公開されています)




法然院は、鎌倉時代に法然上人が弟子の住蓮坊、安楽坊と共に、六時礼賛(1日6度にわたる念仏修行)を行った草庵が始まりでした。しかし、承元元年(1207)に「建永の法難」が起こります。
後鳥羽上皇の女官だった松虫・鈴虫が、法然の教えに影響を受け、上皇に知らせずに住蓮房、安楽房の元で出家したことが、後鳥羽上皇の怒りを買ったったのです。その結果、安楽坊、住蓮坊は死罪に処せられ、法然も流刑にされてしまいました。
(尚、法然院付近には松虫・鈴虫ゆかりの安楽寺があります。)
こうして、迫害を受けた草庵は荒廃してしまいます。




その後、江戸時代の延宝八年(1680)、知恩院の万無心阿(まんむしんあ)上人が、法然上人ゆかりの地に念仏道場を建立することを発願し、徳川幕府より善気山の麓に土地を得て、弟子の忍澂(にんちょう)上人に造営を命じます。こうして創建されたのが現在の法然院です。現在、浄土宗の単立寺院で捨世派の本山です。




このお寺の最大の魅力は、参道を登った時に見えてくる、茅葺の山門へのアプローチにあると思われます。凛とした雰囲気が漂い、新緑・紅葉シーンにはポスター等に必ず登場してくる美しい光景です。
また、門を潜ると両側には整然と並んだ砂盛があって、水の流れや草花が描かれています。(私の母も子供の頃は手伝って砂に描いていたそうです。)周辺の山の空気も夏でも涼しく、一年を通して清々しい雰囲気が良いですね。(子供の頃から何度も来ていた私は忘れかけていた新鮮さですが・・)




境内はそれ程広くなく、池の向こうに本堂が見えます。
本堂には、恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来像、狩野派の襖絵があり、方丈庭園(数十年前までは、参道からつながって自由に見られたそうです)と共に、秋の特別公開中です(11月7日まで)
他に法然院は、椿の名所としても知られています。また、広い墓地もあり、谷崎潤一郎、内藤湖南、九鬼周造、河上肇などの墓があります。



法然院は、上品な雰囲気では京都屈指のお寺でしょう。
程良いサイズで、新緑も紅葉も押し付けがましくなく、派手さはありませんが、心の奥に仕舞って置いて、静かな一時を感じるために、数年に一度は訪問したくなるような感じです。



峰定寺(ぶじょうじ)

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京都市内から離れた場所にも、観光客が来る山のお寺があります。


花背と広河原の間にある峰定寺、雲ヶ畑にある金光峰寺(志明院)、京北町にある常照皇寺などで、
これらのお寺は、観光ガイドでも紹介されている名を知られたお寺です。
いずれも、京都市内から車で1時間〜1時間半はかかるので、訪問者は限られますが、それでも他府県から来られる方もいるようです。
今回初めて、市内から1時間半、さらにそこから歩いて30分〜40分とかかるという峰定寺に行ってきました。





峰定寺は、深い自然林と国有林に囲まれた静かな大悲山にあるお寺です。

大悲山(だいひざん)は、奈良県にある修験道の中心地、大峯山(おおみねさん)に対して、「北大峯」と呼ばれ、古来修験道の修行場となってきました。また周辺は、「鞍馬の奥」といわれて、落人(おちうど)達の隠れ里だったそうです。
今でも、ここまで来るのは結構たいへんです。昔は、都から逃れてきた者にとってはまず見つからない場所だったのでしょう。
例えば、治承元年(1177)の鹿ケ谷の陰謀によって喜界ケ島に流された俊寛僧都の妻子が、この山に逃れ付近で病死したため、境内には俊寛僧都と妻子を祭る供養塔が残っています。





さて、大悲山峰定寺は、平安末期の久寿元年(1154)に、大峰熊野の修行者の観空上人によって創建されたお寺です。
観空上人は、鳥羽法皇の帰依を得て、その勅願を受けて三間四面の堂宇を建立しました。本堂及や仁王門の造立には、藤原信西や平清盛が任命されたということです。
本尊は、鳥羽法皇の念持仏の十一面千手観世音菩薩を下賜され、脇士として、二童子付き不動明王立像、毘沙門天立像を奉納せられたということで、これらの仏像は、現在宝物館に収められていて普段は見られません。
特別公開は5月3日前後の連休3日間と、11月3日前後の連休3日間のみです。






特に、本尊の十一面千手観世音菩薩は、今回ご住職の説明によれば、このような美しい観音様は他に無いということでしたが、30cm程度の想像していたより小さいもので、切金(きりがね)文様の残る美しい上品な仏様でした。仏像ファンは一見の価値ありです。
また、二童子を横に従えた不動明王立像も存在感があるもので、他に毘沙門天像、釈迦如来像、金剛力士像等があり、どれも重文に指定されています。
建物は何度か修繕が行われていますが、江戸時代に、当時の後西天皇の命で、聖護院宮道祐親王が修理を指導したことがきっかけで、以後聖護院の直末寺として今日に至るようです。





お寺までの距離は、思ったほど無くて、徒歩で20分強程度で到着。(少し急ぎましたが)
山道を登るのではなく、平坦な舗装道路が続いているだけなので問題はありません。
お寺の門前には、近年、山菜料理店や料理旅館等が増えてきたそうで、山奥という感じも無く、嵯峨野やその他普通の観光寺院の門前と同じです。川沿いに数十mの参道を歩けば、立派な入母屋造の仁王門(平安末期の創建時のものです。)が見えてきます。
仁王門の直ぐ近くには巨大な杉の木があり、その向こうには、新しい宝物館、拝観受付のある書院や神変堂(いずれも昭和初期の建築)が建っています。





さて、峰定寺の特徴は、まず受付で拝観料を払うと、その場で荷物を全て預けるということです。
このお寺は、観光のためというより、あくまでも修行場という姿勢を示されているわけです。
財布は持っていって良いようですが、カメラ等も持ち込むことは禁止です・・・・このように聞いていたのですが、実際はそれ程厳しいものではなかったような感じですが・・きちんとお預けしましたよ(^^)
だから写真撮影したのは、表門から仁王門までで、石段の上の本堂の写真はありません。
(最後の本堂の画像は、お寺のパンフからの掲載です。)
知らないで来た人は、面食らうかもしれませんので、知ってから行った方が良いと思います。





お寺の方は、本堂までは30分ほど石段を登りますので、杖を持っていってくださいと言われます。
先に宝物館で仏像を拝観し、いよいよ仁王門から石段を登ります。
峰定寺が山寺らしい姿を見せるのは、この石段から本堂までの間です。石段はさすがに修験道の道場らしく、湖東三山などのなだらかな石段とは違っていました。
急な山の斜面に作った自然石の石段なので、傾斜角度はきつく、膝を90度に上げて一歩一歩踏みしめないと登れない場所もあります。山を一歩ずつ、杖をつきながら登る・・・これが修験道なのでしょう。(もっと怖いのは降りる時です。足を滑らすと大怪我します。)
ただ、一気に山を駆け登るので、距離自体は短く20分かからない感じです。





いよいよ、重文指定のやや簡素な雰囲気の本堂が見えてきました。
久寿元年(1154)に作られた断崖にせり出した縣崖造の舞台です。清水寺の舞台のような広大な・・・という噂を聞いていましたが、そんなに大きいものではありません。軒下の廊下の幅は2メートルも無く、人をよけて何とか通れる程度です。
(狸谷不動尊とか、西国三十三ヶ所のお寺の方が大きい気がします。)
ただ、恐さはこちらの方がずっと上です。危ないので静かに歩いてくださいという標示があるように、下はまさに断崖で、床板の隙間から崖下が見えています。もし地震でも起これば・・・高所恐怖症の方はご注意ください。






本堂からは、遥かに北山の森が見渡せます。
また、本堂横の阿伽井屋(給水所)も創建時のもので重文指定です。(尚、本堂から奥には修行場があり立ち入りは禁止です。)参道には京都の銘木に指定されている杉の大木などがあり、境内はシャクナゲ等季節の花が植えられ、紅葉も綺麗なようです。
入山時間は、山中のため9時〜15時半まで。団体不可、冬季(12〜3月)も閉山されます。






峰定寺は、アクセスが悪い点がありますが、山岳修行のお寺として面白い存在です。
広い駐車場もあり、カップルやグループ等観光客も10人以上が来られていた感じでした。
断崖に建つ舞台は一度は見られたら良いかと思います。ただ、それ以外に見所は少ないので、寺宝の公開が無い普段は、少し物足りなさもあるかもしれません。
新緑や紅葉は綺麗なようですので、その頃などに行かれるのが良いかもしれません。
アクセス面を考えると、ややお勧めという感じでしょうか★★★★

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法住寺と後白河天皇陵

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10月末に写真を撮ったのに、文章が追い付かず・・・季節がずれてしまいそうな昨今です。
紅葉の時期に、緑の葉っぱもどうかと思い、急いで更新していきます。



それで、養源院の近くの法住寺と後白河天皇陵も続けて書いてしまいます。
観光寺院としては、お勧めレベルとまではいきませんので、簡単にさせていただきます。



養源院のすぐ隣にあるのが、後白河天皇陵と法住寺です。
訪問した10月末は、法住寺本堂の不動堂が改築中で、今回は写真のみ撮影しました。


このお寺は、平安時代中期の公家藤原為光によって創建されたお寺ですが後焼失し、その後、後白河上皇がこの地に法住寺殿を造営し、院政を行った事で知られます。
現在、東山七条にある蓮華王院(三十三間堂)や新日吉神社も、法住寺殿の広大な敷地内に建てられたものです。さて、法住寺殿は、後白河上皇が木曾義仲と対立した事で、義仲の焼き討ちを受け焼失、後白河上皇はこの地を離れ、六条西洞院に移りそこで死去します。後白河上皇死後、焼失した法住寺殿跡地に、法華堂がつくられ、上皇の御陵とさだめられます。




こうして、法住寺は後白河上皇の御陵をお守りするお寺として存続、一時、豊臣政権下で方広寺の敷地内に組み込まれますが、徳川政権下では妙法院との関係を強め栄えます。明治になって、後白河天皇陵が寺域から分離され、宮内省の管轄に置かれました。
寺宝としては、親鸞上人作の阿弥陀如来像、慈覚大師作という平安期の身代不動明王像などで知られています。




後白河天皇法住寺陵の参道は、養源院と法住寺の間にあります。
参道の入り口は土日・祝日は閉鎖されますので、注意してください。御陵は、法住寺境内の裏手にありますので、法住寺と合わせてご覧になるのが良いかと思います。



ついでですが、京都には、天智天皇と、平安朝以降の桓武天皇〜明治天皇までの歴代の天皇陵があります。この間の時代で、京都に御陵が無いのは、
薬子の乱で知られる平城天皇(奈良)
保元の乱の崇徳天皇(香川)
壇ノ浦で水死した安徳天皇(下関)
南朝政権の後醍醐天皇(吉野)と後村上天皇(河内長野)の5人です。



観光寺院クラスとは言えない法住寺ですが、平安後期の院政時代には重要な役割を持ったお寺として、歴史ファンは、東山七条付近を訪問される時に寄られても良いかもしれません。その際は、後白河天皇法住寺陵もどうぞ。

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