京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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昨年末に書きました、「瀬田の唐橋」に関係した史跡です。

文学作品にもしばしば登場した瀬田の唐橋ですが、一番有名なのは、「俵藤太(田原藤太。たわらのとうた)の三上山のムカデ退治」の物語です。俵藤太こと藤原秀郷は、平安時代中期の武将で、平貞盛と共に平将門の乱を鎮圧したことでも知られる人物ですね。





伝わる伝説は細部で違いあがるようですが、大体以下のような内容です。

ある時、俵藤太(藤原秀郷)が瀬田の唐橋を渡ろうとすると、一匹の大蛇が寝そべっていて誰も通れません。しかし勇敢な藤太は気にもせず踏みつけて通ったのでした。その夜、藤太の前に美しい乙女が現れて、「私は瀬田川に住む龍王の娘です。大蛇に変身していたのは、あなたのような勇敢な人物を探していたのです。実は、三神山に住む大ムカデが琵琶湖を荒らすので、退治して欲しいのです。」と依頼されます。俵藤太はこれを受け入れ、大ムカデ退治に三上山に向かいます。
この大ムカデ、三上山を七回半も巻くほどの怪物で、藤太の放った弓をはね飛ばしてしまいます。藤太は最後に残った矢の先に唾をつけて、南無八幡大菩薩と仏に祈って矢を放つと、これが見事に大ムカデの眉間に命中し、無事退治することが出来ました。こうして藤太は、ムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神から盛大な褒美を得るという有名な物語です。(その内の一つが、三井寺に伝わる梵鐘だと伝わります)

この物語の伝承は色々あるようです。ムカデ退治の時期についても、平将門と戦う前、戦った後という両方の言い伝えがあり、一般的には、龍神の加護により、将門を討ち取る事が出来たということで、ムカデ退治が先という話が多いようです。平将門と戦った際、秀郷が将門の眉間(または左目)を射抜いて討ち取ったというのも、ムカデ退治の時と弱点が同じで、平将門をムカデに例えて伝説が広がっていったのかもしれません。





この伝説に登場に関係する神社が、瀬田の唐橋のすぐ横に有ります。
龍王宮・秀郷社(りゅうおうぐうひでさとしゃ)は、瀬田川と唐橋の鎮守社として建てられた神社で、祭神は大神霊龍王(または龍王乙姫)と藤原秀郷です。
古くから瀬田の唐橋の下には龍神が住むという言い伝えがあり、龍王宮は、室町時代の永享年間(1440頃)に六角氏が現在地に橋を架け替えたとき、龍神をご神体として祀ったと伝わります。秀郷社は、いつ頃祀られたのか不明ですが、寛永十年(1633)に伊予松山と近江日野を領有していた大名の蒲生忠知が、蒲生家が藤原秀郷の子孫であることから、別の地にあったものを合祀したとも伝わります。現在の社殿は新しい印象で近年のものだと思います。




最近に出来た新しいお寺のような印象で写真は撮らなかったのですが、龍王宮秀郷社の隣には雲住寺というお寺があります。藤原秀郷(俵藤太)の追善供養のために15代目の子孫になる蒲生郡小御門城主・蒲生高秀が、応永十五年(1408)に建立した寺で、創建時は天台宗でしたが、室町時代中頃に浄土宗に改宗したようです。本堂左手に、退治された大ムカデを祀る「百足(むかで)供養堂」があり、その他秀郷ゆかりの刀等を収蔵しているそうです。他に一番美しい「瀬田の夕照」が眺められる部屋あるそうで、予約すれば見られるようです。 

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