京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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志明院のついでになりますが、北区雲ヶ畑出谷町岩ノ奥、雲ヶ畑の岩屋山バス亭近くにあるのが、惟喬親王(これたかしんのう)を祀る惟喬神社(これたかじんじゃ)です。



惟喬親王は、前に玄武神社の「やすらい祭」の時にも出てきましたが、第55代文徳天皇の第1皇子になります。若くして聡明でしたが権勢を握る藤原氏との縁が薄く、父文徳天皇は藤原良房を憚って皇太子の地位を、生まれて間もない4男の惟仁親王(後の清和天皇 藤原良房の娘の子)に与えました。
惟喬親王はその後、諸国の国主を歴任した後、近江の滋賀の小椋庄(君ヶ畑)に移り住みます。その後、大原、雲ケ畑、二ノ瀬、東河内大森等に隠栖して、貞観十四年(872)に出家し素覚浄念と号し比叡山・小野郷に隠棲し、そして山崎水無瀬(みなせ)を経て東河内で寛平九年(897)54歳で死去したと言うことです。惟喬親王は諸国を転々として、各地に寺院と伝説を残しました。(小椋庄に金竜寺、雲ケ畑字中畑に高雲寺(惟喬般若)、大森字東河内に安楽寺、長福寺を建立したと伝わります。)




さて、この雲ヶ畑にそびえる桟敷ガ岳は、標高896mあり比叡山より48m高い山ですが、古来この山には惟喬親王に関する伝説が幾つかあるそうで、山名の桟敷も親王がこの山上に高楼を構えて都を眺めたことに由来すると言われ、又相撲の土俵場や御廐(うまや)の址等もあるようです。また付近にある臨済宗永源寺派の寺院、高雲寺は惟喬親王の隠棲跡(高雲宮 惟喬般若)を寺院に改めたものと伝わります。惟喬神社もそうした史跡のひとつで、貞観九年(867)、この山中に隠栖して、高雲宮を造った事にちなんで祀られたもののようです。(尚、親王を祀る神社は他に守谷神社(鞍馬町二ノ瀬)、御霊神社(大森東町)、白山神社(多賀町大君カ畑)、筒井神社(小椋庄蛭谷)、大皇器地租神社(小椋庄君ケ畑)があるそうです。)

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