京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

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勝林院

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大原にある観光寺院は、結構拝観料が高い気がします。
三千院(700円)はもちろん必見で、寂光院(600円)も有名。宝泉院(抹茶・お菓子付き800円)も人気がある。その次は重文指定の仏像がある来迎院(400円)・・結局6つの観光寺院を全て訪れると拝観料合計は3400円。お金がもったいないのでやめておこう・・となるのが実光院(抹茶・お菓子付き600円)や勝林院(300円)辺りでは無いでしょうか?
特に勝林院は、境内が全てオープンで、入り口の来迎橋の向こうに本堂が見えるので、観光客の多くは「ここから見たら、もう良いだろう。」と、隣の塔頭・宝泉院の方へ行ってしまうように思います。
現在の勝林院は、本堂のみが残り、また住職がいないので塔頭の宝泉院や実光院が輪番で管理している状態ですが、大原で最古(聖徳太子が創建したという伝説のある寂光院を除けば)の由緒ある寺院です。



さて、左京区大原勝林院、三千院の門前を北へ真っ直ぐ歩くと正面にある勝林院は、魚山・大原寺(たいげんじ)と号する天台宗の寺院です。また法然上人の「大原問答」の旧跡として円光大師(法然)二十五霊場の第二十一番札所でもあります。
平安時代の承和十四年(847)に唐から帰朝した慈覚大師円仁は、中国仏教の伝統的な儀式音楽である声明音律業(声明 しょうみょう)を日本に伝え、その後弟子たちにより比叡山に伝承されてきました。そして、平安中期の長和二年(1013)に慈覚大師の九代目の弟子・大原入道こと寂源上人(一条左大臣・源雅信の子)が、この大原に声明道場として大原寺(現在の勝林院)を建立しました。その後、大原寺(勝林院)は大原魚山流声明の根本道場として栄え、境内塔頭として宝泉院、実光院、普賢院、理覚院、龍禅院等が建ち並びました。その後明治以降に、勝林院の境内は本堂のみ残し、境内塔頭・宝泉院、実光院が勝林院境内から独立した形で存続しました。


さて、寂源上人は、寛仁四年(1020)に比叡山の碩学を請じ、大原寺(勝林院)の本阿弥陀如来像の前で法華八講を行いました。これを「大原談義」と言います。この時、覚超と偏救の二僧が仏果(修行・悟りによって得られる結果=成仏)の空・不空について議論をしましたが、覚超が不空を論ずると本尊阿弥陀如来が姿を隠し、偏救が空を論じるとその姿を現したといい、阿弥陀如来が空にも不空にも偏らない中道実相の本意を表したと伝えられます。
また、文治二年(1186)には、顕真法師(法印 後に天台座主権僧正)が大原寺(勝林院)に浄土宗の開祖法然上人を招いて、浄土宗の宗義について論議しました。この一日一夜続いた論議を「大原問答」といいます。
この時、東大寺の俊乗坊重源が弟子三十余名を連れて参加したのをはじめ、明遷、証真、貞慶、智海等の当時の名僧等も加わって、各自弁舌をふるって法然に問いかけましたが、法然は法相・三論・華厳・天台・真言等の各宗派を論じて、阿弥陀如来の徳化を理を究め、証を挙げて論述し、念仏を唱えることで極楽往生できることを示したので、満座の聴衆は皆信伏して念仏を唱えたと伝わります。この時も、阿弥陀如来の手が光明を放って、念仏衆生を全て救うとの証拠を表現されたということです。

このようなことから大原寺(勝林院)の本尊・阿弥陀如来像は、「証拠の阿弥陀如来」と称し、本堂は証拠堂と呼ばれました。その後、文明八年(1476)に、応仁の乱で皇居が炎上したことから、その年の後花園天皇七回忌法要が、勝林院の本堂で行われ、その後もしばしば御懴法講と呼ばれる勅願法要が行われたということです。
その後、この本堂は江戸時代初期の徳川家光の時代に、春日局の願により崇源院(2代将軍秀忠夫人)の菩提のために再建されましたが、享保二十一年(1736)の火災に遭い焼失しました。そして、安永七年(1778)に、徳川家の援助を受け、また後桜町天皇の御常御所の建物を拝領されて建造されたのが現在の本堂で、総欅造、柿葺屋根の堂々とした建物です。(鐘楼と共に京都市指定文化財)

本堂の中心に祀られている本尊・阿弥陀如来像は、平安中期の仏師康尚の作で、江戸時代の元文二年(1737)に大仏師香雲が補修したものということです。また、この本尊の御手からは五色の綱が下っていて、参拝者が触れて結縁を得ることができます。その中の白い布の綱は、葬儀の際に来迎橋(橋から手前=現世と、境内=極楽浄土を分けています。)の外まで伸ばして、安置される棺の上にたらして極楽往生をするという平安時代の儀式を今も行うための「善の綱」と呼ばれるものです。
本尊の脇侍は不動明王と毘沙門天で、また本尊前の左右には、八講壇(問答台)という問答論議を行うための台が置かれています。その他本堂内には法然上人木像、踏出阿弥陀像、元三大師画像、普賢菩薩像、菅原道真の本地仏だったと伝わる元北野寺の本尊・十一面観音像等が安置されています。

境内のその他の見所としては、境内西、左手に歌人平井乙麿の「苔の上をまろぶがごとく流れゆく呂律の里の弥陀の声明」と彫られた歌碑(写真)や、本堂左の坂を少し登ると最胤親王(後伏見天皇九世皇孫)の墓があります。(写真)また、境内の東側、本堂右の坂上には、鎌倉時代の正和五年の刻字のある石造宝篋印塔(重文・鎌倉)が立っています。(写真)さらに、江戸初期の鐘楼にかかる梵鐘は無銘ですが、藤原時代のもので重要文化財に指定されています。(この鐘は毎年除夜の鐘で撞かれています。)その他西側の宝蔵には魚山叢書等の貴重な文献、経典、仏画、木版等が所蔵されていますが設備が無いために公開はされていません。また、行事として正月三日に、平安時代以来の古典音楽法要の修正会が行われています。



勝林院の本堂は立派な建物で、内陣も厳かでまずまず見応えがあります。境内は地味な印象ですが、現世と極楽浄土とを分けている来迎橋を渡って(拝観料を払って)極楽浄土の世界を少し覗いて見ても良いかもしれません。

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