京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

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一言寺(金剛王院)

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京都市伏見区醍醐一言寺裏町、旧奈良街道から坂を登ったところにある金剛王院(こんごうおういん)は、通称「一言寺(いちごんじ)」の名前で知られるお寺です。観光寺院では無いので、いつもひっそりとしていますが、アジサイやヤマモモ等の花や実に四季を感じられる穴場的なお寺です。


「一言寺」こと金剛王院は、醍醐寺の境外塔頭で、真言宗醍醐派の別格本山です。
平安末期の創建と伝わる「一言寺」と呼ばれていた寺院と、同じく平安末期に創建された醍醐三流の一つ金剛王院が明治時代に合併して現在のお寺になりました。

寺伝によれば、高倉天皇の中宮・建礼門院徳子に仕えた阿波内侍(小納言・藤原信西の娘と言われます。寂光院ゆかりの人物としても知られますね。)が出家して「真阿(しんな)」と称し、清水寺の観音菩薩の霊告を得によってこの地に一寺を建立したと伝えられ、本尊の千手観音菩薩像(秘仏)に一心に祈れば、一言だけなら願い事がかなうということから、「一言寺」という名称が付いたといわれています。本堂の軒下には、このエピソードを表す「ただたのめ、仏にうそはなきものぞ、二言といわぬ 一言寺かな」のご詠歌の額が掲げられています。

また、これとは別にこの醍醐の地には、平安時代末期の永久三年(1115)に醍醐寺の金剛王院流の祖 聖賢(しょうけん)上人が金剛王院を創建します。(尚、この年、勝覚上人は潅頂院(三宝院)を、賢覚上人は理性院を創建し、真言密教の「醍醐三流」と呼ばれます。)金剛王院はその後、醍醐寺塔頭として、本山醍醐寺と共に応仁・文明の乱等の兵火で焼失、後に再建されて明治に至ります。そして、廃仏毀釈の影響で明治七年(1874)に廃寺となった一言寺の旧地に明治二十八年(1895)に移転しました。


平安時代末期の絵仏師・珍海(宮廷絵師・藤原基光の子)は仁平年間(1151〜53)に当寺に住んで密教の仏画を多く残しました。現在本堂に安置されている阿波内侍像は、元禄七年にこの画像を基に造られたと記録が残ります。本堂は、文化七年(1810)に再建されたもので、内陣の中にさらに土蔵造りの奥内陣がある珍しい構造で、江戸時代を代表する建築の一つということで、奥内陣には「一言寺」の名前の由来となった「一言観音」と呼ばれる秘仏・千手観音菩薩像(33年ごとの御開帳です。)、不動明王像等を安置しています。他に境内には江戸時代作の地蔵菩薩像を祀る地蔵堂、鐘楼等があります。


小さな池の周辺にはアジサイが植えられ、アジサイの隠れた名所になっています。
また、山門の右手には大きなヤマモモの木があり、京都市の天然記念物に指定されています。(写真)樹高9.2m、胸高周囲3.28m、直径約10mの円形のこんもりとした姿で、幹の内部が空洞になることや、枝の壊死した跡が孔状になることはヤマモモの特徴ということです。江戸時代の記録にもあり約400年の樹齢があるということですが、今でも樹勢は衰えることなく毎年6月頃には多くの赤い実をつけます。

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