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伏見区桃山町正宗にある海宝寺(海寶寺)は、観光寺院では無いのですが、中国風精進料理の普茶料理を楽しめるお寺として広く知られています。
海宝寺(かいほうじ)は、山号を福聚山(ふくじゅざん)という黄檗宗寺院で、江戸時代中期の享保年間(1716-36)に建てられた京都では比較的新しいお寺です。
桃山時代、現在の海宝寺境内を含む「桃山町正宗」という地域には、仙台藩の藩祖・伊達政宗の伏見上屋敷(かみやしき)がありました。伊達政宗は文禄四年(1595)に豊臣秀吉からこの伏見に屋敷地を与えられ、千人以上の重臣やその妻子などを住まわせました。伊達家家臣が闊歩する屋敷一帯は人々から「伊達町(だてまち)」と呼ばれたそうです。政宗自身も慶長四年(1599)頃までこの地に住み、慶長六年(1601)に上洛した際にも、約1年間ここで過ごしています。
(尚、政宗の伏見屋敷は、この上屋敷の他に、上屋敷の南西と深草の2ヶ所に下屋敷(しもやしき)があったようです。深草の下屋敷付近には、現在も「深草東伊達町(ふかくさひがしだてちょう)」「深草西伊達町(ふかくさにしだてちょう)」の地名が当時の名残を留めています。また、海宝寺門前の道路は「伊達街道」と呼ばれます。)
さて、海宝寺は、享保年間(1716〜36)初期、萬福寺第十二世・杲堂元昶(こうどうげんちょう)禅師が創建した開宝寺という寺院がはじまりと伝えられ、その後、享保十三年(1728)に萬福寺第十三世・竺庵浄印(じくあんじょういん)禅師が、伊達政宗屋敷跡に移転して寺名を「海宝寺」と改め、萬福寺の別院・歴代管長の隠居場所としたということです。また一説には、江戸時代前期にこの地にあった天台宗寺院の開法寺という寺院が、竺庵浄印禅師を迎える際に黄檗宗に改められ「海宝寺」と改名したとも伝えられます。
海宝寺の山門には「普茶大本山開祖道場」の札が掛けられ、落ち着いた境内が心地良いです。
本堂は宝暦五年(1755)に、京都伏見の呉服商・大文字屋(現・百貨店大丸の前身)の創始者・下村彦右衛門正啓が、竺庵浄印和尚に帰依して寄進したもので、堂内に本尊・聖観音菩薩を祀っています。また本堂前には、樹齢約400年という見事な木斛(モッコク ツバキ科の常緑樹)の木があります。この木はかつてこの地に屋敷を構えていた伊達正宗のお手植えと伝えられます。(写真)また方丈前に豊臣秀吉遺愛の手水鉢があり、方丈の襖絵「群鶏図」(現在は京都博物館所蔵)は伊藤若冲晩年の作と伝えられます。また若冲は、この絵を書いた後は、筆を取らなかったといわれ、襖絵の部屋は「若沖筆投げの間」と呼ばれるということです。
海宝寺は普茶料理のお寺として知られます。
普茶料理は、万福寺の開祖・隠元禅師が中国から伝えた中国風の精進料理です。「普茶」とは、普く多数の人にお茶を差し上げると言う意味で、日本の食材を使って、中国からの渡来僧たちにも食べやすいように考案されました。「雲片」と呼ばれる野菜の葛よせ、筍の煮物、ごま豆腐等があり、油で揚げたり葛かけにして、日本の精進料理よりもこくのある旨みを引き出しています。海宝寺では昭和二十五年(1950)から、普茶料理が営業されていて、庭園を眺めながら楽しむことが出来ます。(4人以上で予約 5000〜6000円)
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