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伏見区醍醐東大路町にある醍醐寺は、山号を深雪山という真言宗醍醐派総本山で、古都京都を代表する古寺として世界文化遺産に登録されていることでも知られます。境内は醍醐山(笠取山)の山上から山裾まで約200万坪以上という京都屈指の広大なものです。
あまりに広いこともあって、現在一般的に「醍醐寺」と呼ばれる区域は下伽藍(下醍醐 しもだいご)を指し、一方、観光客には少し馴染みがないかもしれませんが、下伽藍(下醍醐))から山道を歩くこと約1時間、標高450mの醍醐山(笠取山)山上付近の区域は「上(かみ)醍醐」「上醍醐寺」と呼ばれています・・今回はこの「上醍醐」を採り上げます。
さて、「上醍醐」は、醍醐寺の発祥の地でした。
醍醐寺の創建は、平安時代の貞観十六年(874)に、弘法大師空海の法孫になる理源大師聖宝が、醍醐山(笠取山)の山上(上醍醐)で、地主横尾明神の霊験を受けて醍醐水の霊泉を得、この地に小堂を建立して、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まると伝えられます。上醍醐の中心である准胝堂は貞観十八年(876)の創建と伝えられ、その後、醍醐・朱雀・村上の各天皇が厚く帰依して、延喜七年(907)に醍醐天皇の発願によって薬師三尊像を祀る薬師堂が建立され、醍醐寺は勅願寺となりました。同年に五大堂も落成するに至って上醍醐の伽藍が完成しました。さらに御影堂(現在の開山堂)が延喜十一年(911)に理源大師の弟子、醍醐寺第一世・観賢座主によって建立されています。
その後、山裾の地にも堂宇が建てられ、天歴五年(951)に五重塔が完成し、下伽藍(「下醍醐)」)がほぼ完成することになり、最盛期には五百もの堂宇が立ち並んだということです。
このように、「上醍醐」は醍醐寺境内の一部ですが、上醍醐に点在する建物の中心となる准胝堂(じゅんていどう)が、日本の巡礼の元祖ともいわれる「西国三十三観音霊場」の第十一番札所として知られ親しまれていることから巡礼者は「上醍醐寺」と呼ぶ方も多いようです。
ここで少し話は外れますが、この上醍醐(上醍醐寺)は西国三十三ヶ所観音巡礼地の中でも最大の難所の一つといわれています。私も6〜7年程前に公共交通機関のみを利用して西国三十三ヶ所を回ってみましたが、アクセス的な難所度としては大体以下のように分けられると感じました。
○大阪、京都、奈良、神戸等の都市部近郊にあり、鉄道のみで比較的楽に行け、参道もそれ程問題無いでしょう・・・
第五番・葛井寺(大阪府藤井寺市)
第八番・長谷寺(奈良県桜井市)
第九番・興福寺(南円堂)(奈良県奈良市)
第十番・三室戸寺(京都府宇治市)
第十三番・石山寺(滋賀県大津市)
第十四番・園城寺(三井寺)(滋賀県大津市)
第十五番・観音寺(今熊野観音寺)(京都市東山区)
第十六番・清水寺(京都市東山区)
第十七番・六波羅蜜寺(京都市東山区)
第十八番・頂法寺(六角堂)(京都市中京区)
第十九番・行願寺(革堂)(京都市中京区)
第二十二番・総持寺(大阪府茨木市)
第二十四番・中山寺(兵庫県宝塚市)
番外・元慶寺(京都市山科区)
番外・法起院(奈良県桜井市)
○京都や大阪を起点にすると、距離的には遠いですが、鉄道のみで比較的楽に行け参道もそれ程問題無いでしょう・・・
第二番・金剛宝寺護國院(紀三井寺)(和歌山市紀三井寺町)
第三番・粉河寺(和歌山県那賀郡)
○鉄道やバスや船等の複数の交通機関を利用しなければなりませんが、参道もそれ程問題無いでしょう。バスの本数の少ない地域がありますので要注意です。
第一番・青岸渡寺(那智山寺)(和歌山県東牟婁郡那)鉄道+バス(距離があります)
第六番・南法華寺(壺阪寺)(奈良県高市郡)鉄道+バス(バス本数少なし)
第七番・龍蓋寺(岡寺)(奈良県高市郡)鉄道+バス(バス本数少なし)
第二十番・善峯寺(京都市西京区)鉄道+バス(バスは季節により手前の停留所まで、その場合は徒歩は坂がかなりキツイ)
第二十一番・穴太寺(京都府亀岡市)鉄道+バス
第二十三番・勝尾寺(大阪府箕面市)鉄道+バス(本数やや少なし)
第二十七番・圓教寺(兵庫県姫路市)鉄道+バス、ロープウェイ
第二十八番・成相寺(京都府宮津市)鉄道+船+ケーブルカー等(遠いです)
第三十番・宝厳寺(滋賀県東浅井郡 竹生島)鉄道+船で竹生島へ
第二十五番・清水寺(兵庫県加東郡)鉄道+バス(バス本数極めて少なし)
第二十六番・一乗寺(兵庫県加西市)鉄道+バス(バス本数極めて少なし)
第三十三番・華厳寺(岐阜県揖斐郡)鉄道+ローカル鉄道+バス(かなり遠いです)
○長距離の徒歩の覚悟が必要
第十二番・正法寺(岩間寺)(滋賀県大津市)鉄道+バスと徒歩50分程度(月一回の特急バスを使用すれば直行可能でお勧め)
第二十九番・松尾寺(京都府舞鶴市)鉄道+バス(目的地までの距離が遠いです。バスも本数少なし)さらに坂道を徒歩40分程度・・車なら問題なし
番外・花山院(兵庫県三田市)鉄道+バス(バス本数少なし)+徒歩25分程度・・車なら問題なし
○参道がかなりハード
第四番・施福寺(槇尾山)(大阪府和泉市)鉄道+バス(本数少なし)、さらに参道は自然石の石段が続いて、巡礼最難所の一つに数えられます。観音正寺や上醍醐に次ぐハードさと思われます。
第十一番・醍醐寺(上醍醐)(京都市伏見区)地下鉄+徒歩約50分、自然石の石段等が続く、巡礼最難所の一つに数えられます。
第三十一番・長命寺(滋賀県近江八幡市)鉄道+バス、参道は急な石段808段あり。(車なら石段を少し飛ばして途中まで登れます。)
第三十二番・観音正寺(滋賀県蒲生郡)鉄道+バス(バス本数少なし)、正面からの自然石の道は巡礼最難道として知られます。裏参道からの徒歩約50分程度も最難所らしくハードですが車なら山上付近へかなり楽に行けます。
といった所でしょうか・・・。
上醍醐が最難所といわれるのは、参道が険しいのはもちろんですが、車が使えないということにあるのでしょう。(山を途中まで車で上がれる観音正寺と違って)ただ、巡礼というものは昔は徒歩が当たり前だった訳で、基本的には自分の足で歩く方が巡礼しているという実感もあり、心身共に良い影響があるのではとも思います。忙しい現代人としては公共機関で近くまで行くのは仕方がないとしても、現地まで車で楽に登るというのは何となく邪道だとも感じます。そういった点で、誰もが同じ山道をテクテク登らなければならない上醍醐は最も正統派の札所かもしれません。(尚、滋賀県側から裏道ルートで登ればかなり楽に行けるようですが、これも足腰の悪い方のためのものと考えた方が良いようです。)
私の歩いた感想としては、(もちろん年齢・体力にもよりますが)いわれるほど程ハードでは無いと感じました。参道はかなり広く、後半は楽な下り坂になります。20分ほど我慢すれば・・といった印象です。
また夏場はばてるので避けた方が良いかもしれません。
(京都では神護寺の石段、海住山寺への舗装道路の参道、さらに大文字山の山道が問題無ければ楽勝でしょう。また、三十三ヶ所では、観音正寺の裏参道からの山道の方がハードに感じました。また小塩のバス停留所から善峰寺へ向かう緩やかな舗装道路、松尾寺へのかなり長い舗装道路の坂道の方が足にダメージが残ったという印象です。)
長くなりました・・上醍醐の参道の様子について書いてみます。(今回は参道周辺の写真を掲載し、次回に山上の様子を掲載したいと思います。)
さて、醍醐寺(下醍醐)の仁王門前で右に曲がって上醍醐へ向かいます・・まず登り口にあるのが「女人堂」で、上醍醐の本尊「准胝観音」の分身が祀られています。また、「女人堂」の前に手水場と道中の安全を祈るかのように五体の仏像(不動明王像、醍醐寺開山・聖宝理源大師像、弥勒菩薩像、役行者・神変大菩薩像、地蔵菩薩像)が置かれています。
古くはここから先は女人禁制で、女性はこの場所でお参りしたということですが、一つには体力が無い女性が厳しい参道を登らないで参拝できる制度だったともいえます(女人堂の傍に小さな「御千度石」があり、この石と女人堂の間を千回往復すると、上醍醐寺に参拝したのと同様の功徳を得られると伝えられます。)・・・また、現在でも体が弱く山上まで登れない人はここでお参りされるのでしょう。
さて登り口から山道を登っていくと、参道には道標として一丁(約100m)毎に梵字と金剛界諸尊名が刻まれた「町丁石卒塔婆」が置かれていて、上醍醐社務所前までに十九の標石があります。
登り始めてしばらく、五丁あたりで「醍醐の花見」の案内板があります。
この付近は槍山(花見山)と呼ばれる平坦地で、慶長三年(1598)三月十五日、豊臣秀吉が「醍醐の花見」の宴を行った場所と伝えられます・・現在は断崖を見下ろすような場所で、危険な為に通行止めになっています。有名な「醍醐の花見」がこのような山の中で行われたということに驚く人が多いようです。
案内版によると、この槍山の千畳敷とも呼ばれる平坦地には花見御殿が建てられ、女人堂から槍山の間には長束正家をはじめとする武将達によって趣向をこらした茶屋八棟が設けられたということです。また秀吉は花見に先駆けて山内馬場先から槍山に至る両側に近畿各地から集められた桜の木を約七百本植えさせたと伝えられます。そして、花見の当日には、秀吉は秀頼、北政所、西の丸(淀君)、松の丸、三の丸を従えて、山下の桜が一望できる槍山の御殿で花見の和歌を短冊にしたため桜の枝に吊上げました。(この豪華な花見の遺品として、この時に詠まれた短冊百三十一葉(重文)が醍醐寺霊宝館に所蔵されています。また、旧花見茶屋・純淨観(重文)が三宝院に移築されています。)
さらにしばらく登ると九丁辺りで「不動の滝」があり、ベンチなどもあり休息所になっています。そこから霊木「相生の杉」を越えて十二丁辺りに「音羽魔王権現社」の小さな社があります・・社殿横に社の由来が書かれています。それによると、昔この地に天狗杉という大杉があり、諸国を遊行する天狗がこの木に腰をかけて休むと伝えられていましたが、老木となり枯れた為に天狗が休む場所が無くなったことをいたんで、昭和十一年(1936)に、時の醍醐寺座主・戒玉僧正が、ここに社殿を建て魔王権現を祀ったということです。その後この社殿が傷んだために、平成四年(1992)に信者の方が新たに社殿、鳥居、玉垣を建立寄進したのが現在の社殿ということです。
しばらく進むと亀の背を土台にしてに石碑をた建てた石碑(亀趺)があり、十六丁付近に来るとベンチなどのある平坦な場所となり、労を労うように役行者像が迎えてくれます。ここまで来ると後はたいへん楽になります・・緩やかな下り坂となり、十九丁が上醍醐寺社務所の門前になります。
次回は山上に並ぶ諸堂を掲載します。
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